## 記事情報
- タイトル: The End of Programming as We Know It
- 著者: [[Tim O'Reilly]]
- 媒体: [[O'Reilly Media]](O'Reilly Radar)
- 公開日: 2025-02-04
- URL: https://www.oreilly.com/radar/the-end-of-programming-as-we-know-it/
## 概要
[[O'Reilly Media]] 創業者 [[Tim O'Reilly]] による、生成AIによるプログラマ失業論への反論エッセイ。「ソフトウェア開発者はまもなくAIに職を奪われる」という論調に対し、著者はコンピュータ産業40年以上の経験から「今回も同じ懸念が繰り返されているだけ」と主張する。機械語プログラミングからアセンブリ、高級言語、Windowsのドライバ抽象化、Web、クラウドに至るまで、技術的抽象化のたびに「プログラミングの終わり」が語られてきたが、いずれの波も実際にはプログラマの数を増やしてきたという歴史的パターンを提示する。経済史家 [[James Bessen]] の産業革命研究、[[Sam Schillace]](Microsoft副CTO)・[[Bret Taylor]](Sierra CEO)・[[Shyam Sankar]](Palantir CTO)・[[Chip Huyen]]・[[Ethan Mollick]] ら業界関係者への取材を交え、AIは「プログラミングの終わり」ではなく「プログラミングの最新の再発明」であると結論づける。
## 「プログラミングの終わり」の反復構造
記事は技術的抽象化の反復を時系列で辿る。最初のプログラマは物理回路を直接配線し、次いで2進数によるスイッチ入力、アセンブリ言語、Fortran・COBOL・C・C++・Javaのような高級コンパイル言語へと抽象化が進んだ。さらにインタプリタ言語・BASICの普及により、プログラミングは大企業や政府機関の「専門職」から子供やガレージ起業家にも開放された。Windowsは低レベルドライバの記述を必要としなくした([[Marc Andreessen]]が Win32 API を軽視して「単なるドライバの塊」と呼んだ逸話を紹介しつつ、著者はこの評価を「間違っていた」と評する)。Web の登場では「ノーコード」がバズワードとなり、WordPress のようなツールが非プログラマによるサイト制作を可能にした。それぞれの波で旧スキルは「なくても困らないが、もはや必須ではない」ものへと陳腐化し、新スキルが成功の鍵になった。この反復構造こそが、著者が今回のAIによる変化も「プログラミングの終わり」ではなく「プログラミングとして知られているものの終わり」にすぎないと考える根拠である。
## 既に到来している「管理者としてのプログラマ」
著者は、生成AI以前からGoogle・Facebook・Amazonのような企業ではプログラムの規模で実作業が行われてきたと指摘する。検索結果配信・ニュース配信・SNSステータス更新・商品レコメンドといった実作業の大部分は既にソフトウェアとアルゴリズムが担っており、それらを作る人間プログラマは「真の労働者」であるプログラム群の管理者だという構図を、著者自身が2016年のMIT Sloan Management Review論考「Managing the Bots That Are Managing the Business」で既に指摘していたことを引用する。「働く人々の大半は既にデジタル同僚を作り管理する仕事をしている世界に生きている」という洞察は、生成AIによるエージェント化がこの構図を新しい次元に拡張するにすぎないという著者の立場を支える。
## Bessenの産業革命研究 — Learning by Doingによる生産性波及の遅延
著者の議論の中心的な理論的支柱は経済史家 [[James Bessen]] の研究である。Bessenは19世紀初頭のLowell(マサチューセッツ州)の繊維工場を調査し、熟練職人が「未熟練」労働者を操作する機械に置き換えられる過程で賃金が抑制された現象を分析した。興味深いことに、旧来の熟練職人が一人前になるまでの年数と、新工場の未熟練労働者がフル生産性に到達するまでの年数はほぼ同じだった。両者とも実は「スキルを持つ労働者」であり、スキルの種類が異なっていただけである。賃金停滞が産業革命最初の50年間続いた理由は2つ:(1) 工場主が生産性向上の便益を労働者と共有せず独占したこと、(2) 新技術を最も効果的に活用する方法についての知識が社会に広く行き渡るまでに数十年を要したこと。この「learning by doing」(実践を通じた学習)のプロセスには、機械をより頑健にする発明、より効果的なワークフローの考案、新しい製品カテゴリの創出、幅広い業界への技術普及、労働者自身のスキル習得のすべてが必要だった。著者はBessenの言葉「重要なのは個々の労働者を訓練する時間ではなく、安定した訓練済みの労働力を社会全体で作り出すのに何が必要かということだ」を引用し、AI時代にも同型の産業全体でのAIリテラシー獲得プロセスが必要だと論じる。
## プログラミングの意味の変化 — 「書く」から「並べる」へ
[[Chip Huyen]](著書 *AI Engineering* の著者)はメールでの回答として、AIは新しい種類の思考をもたらすのではなく「本当に思考を要する部分を可視化する」のだと指摘する。かつて識字率が低かった時代には「書く」という物理的な筆記行為そのものが知的とみなされ、人々は自分の書体(calligraphy)に誇りを持っていた。しかし今日「書く」という語は物理的な筆記行為ではなく、アイデアを読みやすい形式に構成する高次の抽象を指す。同様にコーディングという物理的行為が自動化されれば、「プログラミング」という語の意味は「アイデアを実行可能なプログラムへ配置する行為」を指すよう変化するとHuyenは論じる。Stanford CS学科長Mehran Sahamiの言葉「コンピュータサイエンスとはシステマティックな思考であり、コードを書くことではない」もこれを裏付ける。
## 70%問題 — AIで速くなっても仕上がらない理由
Google Chromeのユーザー体験責任者 [[Addy Osmani]] は、[[70%問題]] と呼ぶ現象を指摘する。エンジニアは劇的な生産性向上を報告する一方、日常的に使うソフトウェアの品質が目に見えて向上している実感は乏しい。非プログラマがAIコード生成ツールを使うと、デモや簡単な問題では優れた成果を出せるが、複雑なプログラムの「最後の30%」で行き詰まる。それはコードをデバッグしAIを正しい解へ誘導するのに十分な知識を持たないためである。一方、経験豊富なエンジニアがCursorやCopilotのようなAIツールで作業する様子は魔法のように見えるが、注意深く観察すると彼らはAIの提案をそのまま受け入れず、長年培った工学的判断力でAI出力を制約・整形しており、その専門性こそがコードの保守性を保っている。経験の浅いエンジニアはこの重要な手順を見落とし、一見完成しているが実運用の圧力で崩壊する「トランプの城のようなコード」(house of cards code)を生み出しがちだとOsmaniは警告する。
## 新しい役割:エージェントエンジニアとプロトタイプから本番への旅
[[Bret Taylor]](元Salesforce共同CEO・元Meta CTO、現[[Sierra]]CEO)は、企業のAIエージェントが将来的にはウェブサイトやモバイルアプリと同等以上に重要な「主要なデジタル接点」になると予測する。しかし企業の業務プロセスをエージェントへ落とし込む「最後のマイル」は依然として困難であり、Sierraでも顧客ごとにエンジニアリングチームを割り当てて実装を支援している状態にある。この「最後のマイル」を担う新職種として、Taylorは[[エージェントエンジニア]](agent engineer)という役割を提唱する。フロントエンドWeb開発者に近い性質を持ち、Reactを扱える開発者であればAIエージェント構築へ転身できるという。[[Shyam Sankar]]([[Palantir]] CTO)はこれを「プロトタイプから本番への旅」と呼び、AIの企業価値は「自動化・企業の自律性」にあるとしつつも「自動化はエッジケースによって制約される」と釘を刺す。DARPA Grand Challenge(2005年)で優勝した自動運転車Stanleyが、その後20年かけて都市走行のエッジケースに対応してきた事例を引き合いに出し、「ワークフローは依然として重要」であり、プログラマの仕事は従来型ソフトウェア・AI・人間のどれが何を担うかを見極め、それらを繋ぎ合わせることになると論じる。
## エージェント同士が対話する世界のインフラ不在
著者は、企業のAIエージェントが消費者だけでなく他社のAIエージェントとも対話するようになる未来について、標準化がまだ存在しないと指摘する。エージェント間協調のための共通基盤という論点として、AIエージェントが既存の法制度・経済制度・他のアクターとどう関わるかを規定する「エージェントインフラストラクチャ」の必要性を論じた論文(arXiv:2501.10114、未ingest)を引用し、行為の帰属・エージェント間相互作用の形成・有害行為の検知と是正という3機能を紹介する。この分野は人間の方向づけなしにAIエージェントだけでは解決できない大規模な調整・設計課題を抱えており、著者は「AI支援プログラマを今後少なくとも10年は忙しくさせるに十分な量のプログラミング需要がここにある」と述べる。
## 結論:プログラム可能な表面積の拡大
著者は、AI協働開発者がプログラマの生産性を10倍にすると仮定しても、事業・科学・構築されたインフラの「プログラム可能な表面積」が並行して拡大する(例えば20倍)なら、必要な10倍生産性プログラマの絶対数はむしろ倍増すると論じる。ユーザーの期待水準も上昇し、生産性向上を単なるコスト削減に使う企業は、新しい能力を活かしてより良いサービスを構築する企業に敗れるだろうと予測する。[[Simon Willison]] の「AIによってより野心的になれる」という指摘や、映画産業がCPU/GPU性能向上を低解像度アニメーションの高速・安価化ではなく毛皮・水・雲などの表現品質向上に投じてきた類推を挙げ、品質向上への需要は常に市場に居場所を持つと結ぶ。最終的な結論は、失業するのはプログラマではなく「AI支援プログラマにならない、あらゆる職種の人々」であり、これはプログラミングの終わりではなく「その最新の再発明の始まり」であるという主張である。
## 出典
- [[.raw/articles/the-end-of-programming-as-we-know-it-2026-08-16.md]]