> [!abstract] 概要 > 情報システムが人間に対して有用なものであるためには、工学的な効率性に依拠するのみならず、(1)利用者の主観的な判断基準や選好等の利用者それぞれに固有のコンテキストを、システムの作動に際して織り込む必要がある。また、(2)そのような利用者のコンテキストはシステム利用に先立って明確に定まっているとは限らず、むしろ利用者と情報システムとのコミュニケーションを通じて徐々に形成されていくという前提で、システムを構想する必要がある。ユビキタスコンピューティングを背景に登場した[[コンテキスト・アウェアネス]]は(1)を課題とする。[[基礎情報学]]は、(2)に対して、利用者と情報システムとが互いに影響を及ぼし合う総体として複合的にシステムを捉える視点を提供する。本論文では、生命体のしくみに倣いシステムを構想してきたこれまでの工学的伝統を引き継ぎつつ、先行研究の知見を踏まえることでこれら 2 つの課題を同時に解決することが可能なシステム観を、「[[なめらかなシステム]]」という新たなシステム観として提案する。また、当該システム観に基づいて我々が取り組んでいる、実際の研究についても紹介する。 ## 論文情報 - **タイトル**: なめらかなシステムを目指して / Toward The Coherently Fittable System - **著者**: [[栗林健太郎]]([email protected])・[[三宅悠介]]([email protected])・[[Ryosuke Matsumoto]]([email protected]) - **所属**: [[GMOペパボ]] ペパボ研究所 (Pepabo Research and Development Institute, GMO Pepabo, Inc., Tenjin, Chuo-ku, Fukuoka 810-0001 Japan) - **媒体**: マルチメディア,分散,協調とモバイル(DICOMO2018)シンポジウム, pp.703–709 - **発表年**: 2018年7月 - **URL**: https://rand.pepabo.com/papers/dicomo2018-proceeding-antipop.pdf - **© 2018 Information Processing Society of Japan** ## 概要 [[サイバネティクス]]以来の「生命体のしくみを参照してシステムを構想する」工学的伝統を踏まえつつ、利用者固有のコンテキストの織り込み(要求1)と、コンテキストの事後的形成(要求2)という 2 つの課題を同時に解決するシステム観「[[なめらかなシステム]]」を提案する。[[コンテキスト・アウェアネス]]と[[基礎情報学]](HACS)をそれぞれ要求1・2の解決ヒントとして検討し、両者を統合してなめらかなシステムを定義する。GMOペパボでの具体的な研究例(ハンドメイドマッチング・Web ホスティングリソース制御)も紹介する。 ## 問題設定 ### 背景:生命体参照の工学的伝統 第二次大戦後のサイバネティクス(ノーバート・ウィーナー)以来、自律的に適応する情報システムの構想において生命体のしくみが参照されてきた。深層学習もまた、パーセプトロン以来の生命体参照の系譜に連なる。 ### 2 つの要求 情報システムが人間に有用であるためには、純粋な工学的効率化を超えた 2 つの要求がある。 - **要求(1)**: 機械からなる情報システムのみではなく、利用者の主観的な判断基準や選好等の利用者それぞれに固有のコンテキストをも織り込んだ、利用者と情報システムとからなる総体としてのシステムを考えること。 - **要求(2)**: 利用者それぞれに固有のコンテキストは必ずしも事前に明確ではなく、情報システムとのコミュニケーションを通じて事後的に形成されるという前提を置くこと。 自動運転の例: 左右どちらに転じても加害を避けられない場面での「究極の選択」は、利用者の主観的判断基準なしには工学的効率のみで解決できない。 ## 先行研究の検討 ### コンテキスト・アウェアネス(要求1 へのヒント) [[コンテキスト・アウェアネス]]は 1994 年にユビキタスコンピューティング・モバイルコンピューティングの文脈で初めて提唱された。広く採用されている定義(Abowd et al., 1999): - **コンテキスト**: "Context is any information that can be used to characterize the situation of an entity. An entity is a person, place, or object that is considered relevant to the interaction between a user and an application, including the user and applications themselves." - **コンテキスト・アウェアネス**: "A system is context-aware if it uses context to provide relevant information and/or services to the user, where relevancy depends on the user's task." コンテキスト・アウェアなアプリケーションの 3 特徴: (1)コンテキストを用いた適切な情報・サービス提供、(2)自動的なサービス提供、(3)センサーデータへのコンテキストのタグ付け・注釈。 **評価**: 要求(1)はほぼ満たすが、利用者の要求そのものが事前に明確でない場合(要求2)には対応できない。コンテキストに沿った情報提供だけでは不十分で、利用者の要求の形成に影響を及ぼすシステムが必要。 ### 基礎情報学とHACS(要求2 へのヒント) [[基礎情報学]]は西垣通を中心に構築された学際的情報学の基礎づけ。マトゥラーナとヴァレラのオートポイエーシス理論を批判的に継承した「階層的自律コミュニケーション・システム」(HACS: Hierarchical Autonomous Communication System)を提唱する。 HACS の特徴: - **特徴(1)**: 単独のシステムではなく、システムの観察と記述を行う人間と構造的カップリングした複合システム。 - **特徴(2)**: 階層性をもつ。あるシステムは同階層から見れば自律的だが、上位階層から見れば他律的に見える。 - **特徴(3)**: 構造的カップリングされたシステム同士のコミュニケーションの継続発生によってシステムが安定的に維持される。コミュニケーションが途絶えたとき、システムは維持されているとみなされない。 **Figure 1: HACS 自律システムの基本構造(出所: [18] p.15)** ![[_attachments/dicomo2018-proceeding-antipop/fig01-hacs-basic-structure.png]] (Figure 1. 二つのオートポイエーシス主体が構造的カップリングによって環境の中で相互作用する様子。凡例: 構造的カップリング・オートポイエーシス主体・神経システム(観察システム)・環境。Source: Adapted from [18], p.15) **Figure 2: 情報システムの概要(出所: [18] p.32、ドミニク・チェンによる基礎情報学の情報システムデザインへの応用図)** ![[_attachments/dicomo2018-proceeding-antipop/fig02-information-system.png]] (Figure 2. 情報システムの大枠(点線)の内部に、ユーザーコミュニティ(球体・ICT が媒介として内包)と開発プロセス(球体)が構造的カップリング α・β で接続された複合システム。ICT はあくまで媒介にとどまる位置づけ。Source: Adapted from [18], p.32) **評価**: 西垣は「情報システムはあらかじめプログラムされた他律的なものに過ぎない」と繰り返す。しかし深層学習により情報システムはすでに概念を学習可能な存在となっており、人間と情報システムとのコミュニケーション過程でコンテキストを「創出」しうる主体として見るべきだと著者らは論じる。図 2 では ICT が「媒介」にとどまっており、この限界を「なめらかなシステム」で解消する。 ## 提案手法:なめらかなシステム ### 定義 > なめらかなシステムとは、情報システムのことをいうのみならず、互いに影響を及ぼし合う継続的な関係にある利用者(ユーザーおよび開発運用者)と情報システムとからなる総体としてのシステムであり、以下の要件を満たす。 > - **要件(1)**: 利用者と情報システムとが継続的な関係を取り持つ過程において、利用者それぞれに固有のコンテキストを見出したり、新たなコンテキストを創出したりできること。 > - **要件(2)**: 要件(1)を、利用者による明示的な操作を課すことなく実現できること。 > - **要件(3)**: 要件(1)および(2)によって得られたコンテキストに基づき、情報システムが利用者に対して最適なサービスを自動的に提供できること。 「なめらかな」の語源: 鈴木健『なめらかな社会とその敵』(2013)のタイトルに由来し、「インターネットサービスによって障壁が取り払われた世界」を示すメタファーとして採用。 **Figure 3: なめらかなシステムの概要([21] を改変して作成)** ![[_attachments/dicomo2018-proceeding-antipop/fig03-coherently-fittable-system.png]] (Figure 3. 「なめらかなシステム」全体像。ユーザー・情報システム・開発運用者の 3 者が∞型の構造的カップリングで双方向かつ継続的につながる複合システム。図 2 との違いは、情報システムが「媒介」ではなく独立した自律的主体として位置づけられている点。Source: Adapted from [21]) 図 2(基礎情報学の情報システム観)との相違: 基礎情報学では ICT があくまでも媒介に過ぎないが、なめらかなシステムでは情報システムが独立した主体として利用者・開発運用者双方と継続的な相互影響関係に立つ。 ### 動作原理 なめらかなシステムにおいては、利用者と情報システムとが継続的な関係を取り持つ過程で、必ずしも事前に明確でない選好が徐々に明らかになる(要件1)。コンテキスト・アウェアネスや深層学習の手法を取り入れ、明示的な操作なしに新たなコンテキストを創出することで利用者は労苦なく関係を継続できる(要件2)。固有のコンテキストに即して最適なサービスが自動的に提供される(要件3)。 ### 利用者概念の拡張 著者らはユーザーのみならず**開発運用者**もまた「利用者」の範疇に含める。開発運用者にすら、自分たちが何を達成したいかが必ずしも事前に自明でないためであり、その意味ではユーザーに対して特権的な位置づけにあるわけではない。 ## 研究の具体例 ### なめらかなマッチング(minne) [[GMOペパボ]]が運営するハンドメイドマッチング C2C プラットフォーム minne では、一点ものの商品が多く、既製品 EC サイトと比較して利用者と情報システムとで商品についての概念を共有するのが難しい。通常のキーワード検索では利用者のコンテキストを見極めにくいため、**類似画像による関連商品検索システム**を研究([26])。作品画像というユーザーの抱く概念に近いデータソースでコンテキストを深めることを目的とする。今後の課題: ユーザーが単に閲覧しているのか目的を持って探索しているのかの「要求段階」を精緻に見極めること。 ### Web ホスティング(ロリポップ!) [[GMOペパボ]]が提供する高集積マルチテナントアーキテクチャの Web ホスティングサービス「ロリポップ!」では、数万にもおよぶ仮想ホストが物理サーバーを共用するため、いつどのような原因でサーバー負荷が増大するか予測困難。**リクエスト単位で仮想的にハードウェアリソースを分離する Web サーバのリソース制御アーキテクチャ**を研究([29])。仮想ホスト単位ではなくリクエスト単位でリソース制御することで、利用者のコンテキストを精緻に捉えてより高い利便性をもたらす。 ## 考察:AI・IoT 時代とシンボル・グラウンディング問題 今後 AI や IoT がさらに発展し情報システムが新たな概念を膨大に学習していくことで、それらの多くは人間にとってただちに理解可能でないものになる。なぜなら「シンボル・グラウンディング問題」(Harnad, 1990)が存在するためだ。それでも自動運転のような高度なシステムにおいても人間の主観的な判断基準を工学的効率化のみで代替することは社会的に許されない——「人間には意味不明に聞こえる機械たちのざわめきを、了解可能な言葉として聞き取らなければならない」。開発運用者は諸システムとの間に継続的な関係を取り持ち、コミュニケーションを通じてシンボル・グラウンディング問題を解決していく責任を担う。そのためにこそ「なめらかなシステム」というシステム観が必須となると著者らは主張する。 ## 強み / 弱点・課題 **強み**: - サイバネティクス→コンテキスト・アウェアネス→基礎情報学という理論系譜を整理し、「利用者コンテキストの織り込み」と「コンテキストの事後的形成」という 2 課題の統合的解決策を明確に定式化した。 - 開発運用者を「利用者」として対称的に扱うことで、SRE 文脈への接続可能性を内包する。 - minne・ロリポップ!という具体的な研究例が定義の具体化に貢献。 **弱点・課題(論文が述べる・読み取れる)**: - 図による説明はフォーマルな定式化とは異なり、解釈の幅を残す点で概念の精緻化が今後の課題。 - 「なめらかなシステム」の実現手法は具体例で示されるが、要件(1)〜(3)を体系的に満たすアーキテクチャパターンとしての整理はまだ発展途上。 - 要求(2)(コンテキストの事後的形成)の技術的実現方法は研究途上であり、特に「要求段階の精緻な見極め」はまだ課題として掲げられる。 ## 関連 - [[なめらかなシステム]] — 本論文で初めて定義された概念 - [[コンテキスト・アウェアネス]] — 要求(1)の解決ヒントとして参照 - [[基礎情報学]] — 要求(2)の解決ヒント(HACS)を提供 - [[サイバネティクス]] — 工学的伝統の起点として参照(ウィーナー) - [[栗林健太郎]] / [[三宅悠介]] / [[Ryosuke Matsumoto]] — 著者 - [[GMOペパボ]] — 所属組織 - 関連 MOC: [[structures/SRE - MOC]] ## 出典 - .raw/papers/dicomo2018-proceeding-antipop.pdf (7ページ、DICOMO2018 pp.703–709)