## 論文情報
- タイトル: Episteme and Techne
- 著者: [[Richard Parry]]
- 媒体: *The Stanford Encyclopedia of Philosophy*(SEP)
- 初出: 2003-04-11(Fri Apr 11, 2003)、実質改訂: 2024-12-19(Thu Dec 19, 2024)
- 取得元: https://plato.stanford.edu/entries/episteme-techne/
## 概要
本項目は、古代ギリシア哲学における2つの知の語 — *epistêmê*(エピステーメー、慣例的に「知識」)と *technê*(テクネー、慣例的に「技術・技芸」)— の関係を、クセノポン→プラトン→アリストテレス→ストア派→アレクサンドロス・アプロディシエンシス→プロティノスという6人の著者・学派に沿って通時的に追跡する哲学史サーベイである。現代的な「理論(理論知)対実践(経験知)」という対比を古代の区別にそのまま投影することを戒め、両概念が**分離してもなお相互に浸透し続ける**様を描く。冒頭で著者は、現代における理論(純粋数学を範型とする)と実践(大工仕事のような、一般化に抵抗する現場知)の対比が、古代の episteme/technê 関係にはそのままの形では見出せないと予告する。
## 1. クセノポン — 未分化の起点
[[Xenophon]] の『ソクラテスの思い出(*Memorabilia*)』『家政論(*Oeconomicus*)』では、episteme と technê のあいだに理論知と実践知という区別は存在しない。ソクラテスは竪琴の演奏・将軍職・操船・料理・医術・家政・鍛冶・大工仕事を明示的に *technai* と呼びつつ、同じ活動群を無差別に *epistêmai* とも呼ぶ。動詞 *epistasthai*(epistêmê の語根)自体が「やり方を知る」という意味を帯びており、理論的教授で得るものと実践的訓練で得るものという [[Plato]] 的な区別(*Meno* 70a–b 参照)がクセノポンには存在しない。知の獲得は理論的原理の把握ではなく勤勉・訓練(*epimeleia*)によるとされ、「王の技術(*basilikê technê*)」という統治術の議論でも、理論的な幸福論を実践の根拠に据えることはない(Source: §1、*Memorabilia* I.i.11–14, II.i.12–13, II.vi.30, II.vi.38, III.i.6–7, IV.ii.20, IV.vi.1–7, *Oeconomicus* I.1–2, I.16, XX.2–6)。
## 2. プラトン — functionによる定義と理論への傾斜
[[Plato]] の対話篇には technê の体系的理論は存在せず、対話ごとに重なり合う扱いが与えられる。共通する骨格は以下のとおり。
- **機能(ergon)による個別化**: 各 technê は固有の機能(目的)によって区別される(*Rep.* 346a、*Charmides* 165e)。多くの場合その ergon は活動から分離した結果(医術における健康、大工仕事における家)だが、計算術(*Charm.* 165e)のように分離した結果を持たない technê も示唆される。
- **empeiria(経験)からの区別**: `Gorgias` で technê は、(1) 自らが提供するものの原因を説明する「account(logos)」を持つ点、(2) 対象の福利(welfare)を志向する点で、単なる経験(*empeiria*)から区別される(464b–465a, 501a)。`Laws` では、account を患者に説明する自由人の医師と、経験のみに頼り account を持たない奴隷の医師が対比される(720b–d, 857d–e)。
- **理論への傾斜(『テアイテトス』『国家』)**: 『テアイテトス』でプロタゴラスの相対主義に対しソクラテスは医術との類比で「都市にとって真に有益なもの」の実在を主張し(167c–d, 171e–172b)、知識の対象が徐々に抽象化していく。『国家』第5巻以降、episteme は形相(forms)を対象とする純粋な理論知へと転じ(477b)、分割線(Divided Line)の比喩で数学的推論(*dianoia*)と無仮説の始原の把握(*nous*)へさらに細分される(509d–511e)。それでも『国家』第6巻の「哲人は範型(paradigm)を見つめる画家に似る」という比喩(484c–d)や『ティマイオス』のデミウルゴス(28a)は、形相の知が technê のパラダイム(範型を模倣する制作)として機能し続けることを示す。『ソピステス』(253a ff, 254d–e)・『ポリティコス』(258d–259e, 305e)は、弁証術(dialectic)を「判別のみを行う理論的 epistêmê」対「命令する実践的 epistêmê(建築術に類比)」という枠組みで technê と接続し直す。
結論として、プラトンは episteme を純粋理論(形相の知)へ押し進めながらも、それを technê(範型の模倣・統治術)と結びつける両義的な立場を最後まで保持する(Source: §2、*Charmides* 165c/165e/170c/170e/171b/174c, *Euthydemus* 281a/291e/301c, *Ion* 532c/537c, *Protagoras* 356d-e, *Cratylus* 389a-b, *Gorgias* 453e-454a/464b-465a/501a/503d-e, *Euthyphro* 13d, *Republic* 342d/342e/346a/407d/428b-d/477b/484c-d/509d-520e, *Symposium* 211a-b, *Theaetetus* 167c-d/171e-186c, *Timaeus* 28a/30c-d, *Sophist* 253a-254e, *Statesman* 258d-259e/305e, *Laws* 720b-d/857d-e/933b)。
## 3. アリストテレス — 明確な分離とその内部からの揺らぎ
[[Aristotle]] は『ニコマコス倫理学』第6巻で episteme と technê の最も明確な区別を与える。理性的な魂を、必然的でない対象(可変)を扱う計算的部分(*logistikon*)と、必然的対象を扱う学問的部分(*epistêmonikon*)に分け(1139a5–15)、5つの知性的徳 — technê・episteme・phronesis・sophia・nous(1139b15)— を導入する。
- **episteme(厳密な意味)**: 対象は永遠かつ必然的に存在し、論証(demonstration)は第一原理から出発する(1139b15–30)。『分析論後書』(71b10–15)でこの厳密な定義が与えられ、幾何学が範例として繰り返し使われる。
- **technê**: 制作(*poiêsis*)にかかわる性向で、真なる推論を通じて存在しうる/存在しえないものを生み出す。原理(*archê*)は制作者の側にある(1140a1–20)。phronesis(実践知、doing/*praxis* にかかわる)とは、制作と行為(doing)の区別によって対をなす([[フロネシス(実践知)]] を参照)。
しかしアリストテレス自身がこの明確な区別を随所で掘り崩す。『自然学』(194a20)は医術のような technê を epistêmê と同じ語で呼び、『形而上学』第II巻(995a15–20)・第VI巻(1027a20)は自然についての epistêmê が数学的厳密性を持ちえないと認め、「大部分の場合に成り立つ(*hôs epi to polu*)」知という**第二義の episteme**を許容する。『形而上学』冒頭(981a5–b10)は経験(*empeiria*)と technê/episteme を対比し、technê の保持者は個別事例を超えた普遍的判断に到達し、それゆえ教えることができる点で empeiria に勝る、と論じる(→ [[エンペイリア(経験知)]])。『ニコマコス倫理学』第I巻(1094b1–25, 1098a25–30)は、幾何学と大工仕事がともに直角を追求しながら要求される精度(*akribeia*)が異なることを示し、technê が第二義の episteme にすら基づかない精度域を持ちうることを示唆する(Source: §3、*Nicomachean Ethics* 1094a5-10, 1094b1-25, 1097a10-15, 1098a25-30, 1105a25-1105b5, 1106b5-15, 1112a20-1112b10, 1139a5-1140b30, *Posterior Analytics* 71b10-15, *Metaphysics* 981a5-b10, 982b10-15, 995a15-20, 1026b30-1027a25, 1027a20, 1032b1-10, *Physics* 194a20, *Prior Analytics* 32b5-20)。
## 4. ストア派 — 徳としての生の技術
ストア派において episteme と technê の関係は最も緊密になる。ゼノンは「魂の病を治す technê」(*SVF* I 323)を語り、クリュシッポスは phronesis を「生に関わる technê」(*SVF* II 909)と規定する。徳(virtue)はそれ自体 technê(生の技術)でありながら、宇宙全体についての「揺るがぬ把握」という点で Aristotle 的な強い意味の episteme の性格も帯びる。理性(reason)が衝動(*hormê*)そのものの craftsman(*technitês*)だとされ(Diogenes Laertius VII.85–6)、賢者(sage)の魂における知性と情念の統一(魂を理性/非理性に分割しない正統ストア派の心理学)が、ソクラテス主知主義(徳=知識で十分)を情念論抜きに主張したソクラテスの弱点を、独自の魂の統一説で補う。キケロ『善と悪の究極について』第III・V巻(弓術の射手のたとえ、V.16–20, III.22–25)は、実際に健康・生を得ることではなく、それを得ようと**技術的に努める過程そのもの**が唯一の善であるという結論を導く(Source: §4、Plutarch *On moral virtue* 441A-D/446E-447A, Plutarch *On Stoic Self-contradictions* 1035C-D, Cicero *De Finibus* III.22-25, V.16-20, Diogenes Laertius VII.85-88)。
## 5. アレクサンドロス・アプロディシエンシス — 蓋然的技術(stochastic technê)
[[Alexander of Aphrodisias]] は、アリストテレス『分析論前書』の「大部分の場合に成り立つ」偶然性の議論(32b5–20)を敷衍し、この種の三段論法を用いる technai を **stochastic(蓋然的・的当て的)** と呼ぶ。大工仕事は与えられた材料・道具・条件のもとで一連の確定的な手順によって確実に家を産出できるのに対し、医術は最善を尽くしてもなお偶然(chance)によって治癒に失敗しうる。両者の違いは、目標達成そのものではなく「目標達成のためにあらゆる手を尽くすこと」を課題(*ergon*)とする点にある(『トピカ』注解 32,10–34,1、*Quaestio* 2.16, 10–25)。また『形而上学』注解では、理論知(episteme)が実践(action)に優越するという主張を「情念を持たない神々には徳も不要で、純粋な観照(theorizing)だけが残る」という神学的論拠で補強し、人間が神に近づく道として観照を位置づける(Source: §5、*In An. Pr.* 5,20-6,10/39,15-40,5, *In Top.* 32,10-34,1, *In Metaph.* 2,1-10/17,15-20)。
## 6. プロティノス — テクネーの格下げ
[[Plotinus]] の哲学では technê の居場所がほぼ失われる。episteme は第一の流出者ヌース(Nous)における「知と対象の同一性」という理念形として扱われ(*Enneads* VI.6.15)、魂はヌースの臨在によって非論証的(non-discursive)な知に与る一方、通常は論証的(discursive)にしか知らない(V.9.7, IV.3.18)。technê は「魂より後に生じ、魂を模倣する不明瞭で弱い複製」「多くの道具立てを積み重ねて自然の像を作る、子供じみたもの」とまで格下げされる(IV.3.10)一方、彫像の美は石ではなく technê が石に与えた形相に由来する(V.8.1)、宇宙の形成原理(*logos*)は工匠の魂における technê のあり方から類推される(V.9.3)、といった限定的な積極的評価も残る。文法・修辞・竪琴演奏・音楽・建築・医術・農業が technai の例として挙げられるが、いずれも叡知界に基礎を持つのは「比例(proportion)」を扱う音楽のみとされる(V.9.11)(Source: §6、*Enneads* I.2.7.25, I.3.4, I.6.2, II.3.2.10-15, II.9.8, III.2.1-2, III.2.11, III.2.16, III.8.4, IV.3.2, IV.3.10, IV.3.18, IV.4.31.15-20, V.8.1, V.9.3, V.9.7, V.9.11, VI.6.15)。
## 新規性・vault内での位置づけ
- 本 wiki は本日([[@1906__StandardEbooks__Nicomachean Ethics - Book VI Intellectual Virtues]] の ingest で)アリストテレスの episteme/technê/phronesis 論を一次資料から取り込んだばかりであり、本項目はその**直後の二次文献**として、Book VI 単独では見えなかった (1) アリストテレス自身の用語の不整合(§3 後半)、(2) 通時的な前史(クセノポン・プラトン)と後史(ストア派・アレクサンドロス・プロティノス)を補う。一次資料([[@1906__StandardEbooks__Nicomachean Ethics - Book VI Intellectual Virtues]])が Book VI の内部だけを精読していたのに対し、本項目は同じ Book VI の議論(1139a5–1140b30 等)を他の著作(『形而上学』『自然学』『分析論後書・前書』)と突き合わせ、**Book VI の区別がアリストテレスの全著作を通じて一貫していない**ことを明らかにする点で、一次資料だけでは得られない知見を提供する(→ [[エピステーメー]]・[[テクネー]] の横断的知見)。
- また [[What Engineers Know and How They Know It]](Vincenti 1990)・[[On Structural Differences between Science and Engineering]](Poser 1998)がいずれも「工学知識は科学の単純な応用ではない」と論じる20世紀の議論であるのに対し、本項目はその論争の**語彙そのものの古代的起源**(episteme/technê の分離と混用)を提供し、現代の科学/工学区別論争が、実は2000年以上前から同型の緊張(理論知と制作知の分離しがたさ)を反復してきたことを示唆する。三者の関係の検討は今後の課題として [[エピステーメー]]・[[テクネー]] の未解決の問いに記録する。
## 関連
- 実体: [[Richard Parry]] / [[Xenophon]] / [[Plato]] / [[Aristotle]] / [[Plotinus]] / [[Alexander of Aphrodisias]] / [[Nicomachean Ethics]]
- 概念: [[エピステーメー]] / [[テクネー]] / [[エンペイリア(経験知)]] / [[フロネシス(実践知)]]
## 出典
- Richard Parry, "Episteme and Techne", *The Stanford Encyclopedia of Philosophy* (2024年版), https://plato.stanford.edu/entries/episteme-techne/