> [!abstract] 概要 > 本論文には著者自身による Abstract は付されていない(1998 年当時の Society for Philosophy and Technology Quarterly Electronic Journal は essay 形式の論説記事に Abstract を付す慣行を持たない)。したがって、この節では要約を創作せず、論文情報と概要の節で内容を紹介する。 ## 論文情報 - タイトル: On Structural Differences between Science and Engineering - 著者: [[Hans Poser]](Technical University, Berlin) - 媒体: *Society for Philosophy and Technology Quarterly Electronic Journal*(略称 PHIL & TECH、2000 年に *Techné: Research in Philosophy and Technology* へ改称される前身誌)、Vol. 4, No. 2, Winter 1998, pp. 81-93(PDF 各ページのランニングヘッダーに印字された原著ページ番号による) - 取得元: Virginia Tech Scholarly Communication(scholar.lib.vt.edu)公開アーカイブの原本 PDF - 学会背景: Karlsruhe で開催された学会(本文冒頭で言及、会議名は本文に明示なし)での発表に基づくと推察される論説 ## 概要 本論文は、科学哲学が長らく物理学をパラダイムとして固定してきたことを批判し、「工学とはいかなる種類の科学か」という問いに、存在論的区別(自然物 vs 人工物)・創造性・応用科学という 3 つの伝統的な回答を順に退けたうえで、独自の機能主義的・解釈学的な代替説明を組み立てる哲学エッセイである。著者 Hans Poser(ベルリン工科大学)は、純粋科学と応用科学の伝統的区別を出発点に、規則(rules)対法則(laws)、know-how 対 know-why という対比を経て、技術的解釈学(technological hermeneutics)という独自の概念へ到達し、最終的に工学の哲学が技術の形而上学(metaphysics of technology)へ根を下ろさざるをえないと結論する。実験や図表を伴う実証研究ではなく、概念分析と先行文献の批判的検討からなる純粋な哲学論考である。 ## 問題設定 - 哲学者は伝統的に技術という「汚れたもの」を扱わず、科学者は技術を「科学のない応用」として見下し、科学哲学は物理学への固着(fixation)によってパラダイムを組み立ててきた(Source: §1 INTRODUCTION)。 - しかし人類の生を実際に支えているのは科学そのものではなく技術である——会議参加者をカールスルーエへ運んだのも、アームストロングを月へ運んだのも技術であり、日々の食事も最後の病気も技術に負っている(Source: §1)。 - 19 世紀にドイツで工学博士号("Dr. Ing.")が導入された際、伝統的大学は工学の学位をラテン文字ではなくゴシック体で表記するよう強制したという史実を導入に置き、工学が制度上は科学の地位を得て 1 世紀を経てもなお「工学とはいかなる種類の科学か」という問いが哲学的に未解決であることを示す(Source: §1)。 - 本論文が辿る道筋は、純粋科学/応用科学の伝統的区別 → 創造性という判別可能性 → 法則の代わりの規則 → know-how 対 know-why → 技術的解釈学 → 目的と価値、という順序である(Source: §1 末尾)。 ## 提案手法(論証の構成) ### 1. 自然の科学 vs 人工物の科学という区別の棄却(§3) - 科学を主題(topic)によって区別する伝統的方法論に従えば、科学と工学の最も単純な違いは「自然の科学」対「人工物の科学」になりうる。車輪や車軸は自然界に存在しない、という古典的論拠である。 - しかしクローン羊は人工物か、心臓移植や心臓ペースメーカーの埋め込みは被移植者を人工物にするのか、遺伝子変異植物による耐性トマトの生産は人工物か、という「第三次技術革命」の事例群がこの区別を破綻させる。 - さらに、実験はあらゆる経験科学の礎石であり、実験対象の操作を伴わない実験室は存在しない。同位体・高分子・偏光/単色光のような対象の多くは人間が作り出したものであり、科学の対象自体が人工物であることも珍しくない。ゆえに違いは人工物の存在論にではなく方法(methods)に求めねばならない。 ### 2. 創造性という判別可能性の棄却(§4) - ルネサンス期にはレオナルドやミケランジェロのような発明者が称賛され、homo faber(道具を作る動物)という人間観がこの見方を反映してきた。 - しかし Müller (1990)、Dylla (1990)、Hubka (1981) らが公表した構築の詳細な方法論は、与えられた問題から段階的に構成的解へ至るモデルを開発できることを示しており、この種のヒューリスティックな手法(ars combinatoria、Leibniz の ars inveniendi の系譜)は魔術的な独創性を必要としない。 - 新しい仮説を見出すことと新しい技術的解決を見出すことのあいだに差はなく、創造性は科学と工学を分ける性質にならない。 ### 3. Bunge の「応用科学としての工学」の批判(§5) - Mario Bunge(1966; Rapp 1974 所収の改訂版, p.20)は、純粋科学と応用科学を分ける境界は「自然法則の新発見を追求する研究者」と「既知の法則を有用な道具の設計へ応用する研究者」のあいだにあると論じた。 - Poser はこの区別が理論・法則の埋め込まれた規範的・意図的文脈の違いを的確に捉えている点は認めるが、それが「応用」という一語に還元できるとは考えない。技術者は「より深い知識」ではなく「より良い目的」を求める(Bunge 1974, p.20)。 - 工学科学が理想化や理論的概念を用いること自体は否定しないが、それらの予測は理論の検証テストとしては機能せず、「いかにすればある出来事の推移を望みどおりに引き起こす・防ぐ・変えられるか」を見出すために使われる(Bunge 1974, p.23)。 - 帰結として、真の法則や理論である必要はなく、目的に対して十分(sufficient)であればよい。自動車の設計には相対論ではなく古典力学で十分であり、理論は実践において成功しながら誤りでありうる(Bunge 1974, p.25)。したがって工学を応用科学の応用そのものとして特徴づけることはできない。応用科学は独自の目標と独自の方法を持つ。 ### 4. 目的・手段・機能による代替説明(§6-7) - 手段(means)とは、状況 A(与えられた価値 V に照らして不満足)を状況 B(V の体現)へ変換する過程ないし人工物である。ある目的への十分な手段は通常無数にあり、しばしば異なる専門分野にまたがる(都市間移動の手段として自動車・鉄道・航空機、あるいは遺伝子改変クジラまで例示される)。 - 哲学は伝統的に機能(function)を古典的因果(causes)へ還元し Hempel-Oppenheim 図式へ収めようとするが、これは誤りである。機械が機械的・熱力学的法則ないし因果で動作していても、その機能を理解できなければ機械そのものを理解したことにならない。 - 心臓の移植やペースメーカーの埋め込み、産業ロボットによる労働者の代替、工場全体のコンピュータによる制御が理解可能なのは機能の水準のみにおいてであり、機能の概念は同じ機能を果たす絶対的に異なる手段どうしの代替を可能にする。 - 人間の行為は目的論的(teleological)構造を持ち、機能はこの目的への志向を説明できない。目的自体もより大域的な目的への中間的な手段であり(Joseph Beuys の無意味な「honey pump」がこの目的論的解釈の不可欠性を示す好例として言及される)、目的の代替(substitution of aims)を可能にするのが機能的かつ目的論的視点である。この構造は von Wright(1963, 1972)の実践的三段論法(practical syllogism)によって説明される。 ### 5. 法則から規則へ(§8) - 行為の水準から工学を科学として見る水準へ移ると、状況 A/B の代わりに状況の型(types)を、実際の手段の代わりに規則(rules)を扱う。 - 規則は A 型状況を B 型状況へ変換する十分かつ具体的な手段を名指す。規則が満たすべき条件は技術的可能性(technological possibility)の意味での有効性であり、規則が成功裏に働くことを要求するが、規則が真であることを要求しない。規則は真でも偽でもありえない。 - ゆえに技術的規則の正当化は経験科学における正当化とは異なる。技術的規則は真理ではなく効率(efficiency)を目指す。しかし工学には方法論的な取り決め(Kurt Hübner, 1978, p.85 の言う「判定的条件」)が存在する。 ### 6. know-how と know-why(§9) - Rorty (1980) や Toulmin (1990) の立場——科学の内部に真理は存在せず、期待できる最良のものは仮説の効率性にすぎない——は、Larry Laudan の Lakatos 的反証主義への応答に由来し、科学と工学のあいだの方法論的差異が消失することを含意する。 - Max-Planck-Gesellschaft の Starnberg 研究所のグループ(Böhme, van den Daele, and Krohn, 1974)による「Finalisierungsthese」は、すべての科学(技術を含む)が因果的説明抜きの純粋な効率性へ向かうと論じたが、これは誤りだったと Poser は主張する。 - 薬理学の発展(AIDS、パーキンソン病、癌を例示)は正反対を示した。know-why 抜きの効率的な手段は見出されず、von Wright の実践的三段論法の認知的前提が示すとおり、A から B への規則を持たない場合には知識を拡大せねばならない。したがって基礎研究(細胞の化学の普遍法則の探究、すなわち真理への探究)は工学にも不可欠である。 - 固体物理学の研究所も遺伝子工学の実験室も普遍的な目標において変わらず、両者とも高度に確証された仮説を通じて技術的規則を得ようとする点で真理を目指す。伝統的な「技術 vs その他の科学」という鋭い区別は成り立たず、違いは意図(intentions)にある——プラズマ物理学者は宇宙全体に真である解を求め、技術者は安価なエネルギーの生産を求める(Agazzi, 1995, p.82)。 ### 7. 技術的解釈学(§10) - 根拠づけられた効率性だけでは工学を捉え損なう。Poser はこれを技術的解釈学(technological hermeneutics)と呼び、3 つの水準で作動するとする。 1. **行為の水準**: 状況 A を「必要」、状況 B を「満足」と解釈することは、規範ないし価値を尺度とする解釈と、単独で記述不可能な単称の状況を解釈するための解釈学的・方法論的規則を前提する。 2. **工学=科学の水準**: 状況の型・規則・出力の型としての目的のあいだの目的論的な連関を避けられない。因果の王国(規則の背後)と目的の王国(目的の背後)がここで出会う。 3. **局所条件の水準**: 科学は宇宙全体を対象に最も一般的な法則を追求するが、技術は宇宙全体を扱わず局所条件とその変容に集中する。河川を堰き止める場合の地質条件のように、技術者は絶対的に一回限りの状況を解釈せねばならず、これは歴史家のような人文学の知的作業に近い。共通の構築規則ではなく、局所条件の解釈に応じた新しい特有の規則を開発する必要がある。 ### 8. 目的と価値(§11) - 近代技術の哲学的問題とその社会的批判の根は、価値とその見せかけの体現である目的との関係にある。遺伝子工学・バイオテクノロジー・原子力技術・コンピュータ技術への批判のほとんどは価値や規範に基づいており、技術的規格には基づいていない。 - VDI(Verein Deutscher Ingenieure)の指針 Richtlinie 3780 のような取り組みを成功させるには、一般的な規範・価値と技術的規格のあいだの隙間を埋める必要がある。 - Bunge は技術を一水準の概念(one-level concepts)、科学を多水準の理論(many-level theories)として特徴づけたが、Poser はこれを逆転させる。理論力学は理想化された物体の力学のみを扱えばよいが、遺伝子工学は微生物学(一水準の場合に相当)だけでなく地球全体をめぐる生態学的(かつ規範的な)全体論を考慮せねばならない。 - 近代技術は多水準理論でなければならず、そうでなければ技術アセスメントは茶番になる。惑星系全体の複雑性を個々の工学科学に組み込むことは不可能なので、価値に基づく要求を技術的規則の境界条件へ変換する「取り巻く理論(surrounding theory)」を学際的ネットワークの中で開発する必要がある。 - この文化的伝統に依存する価値の哲学的分析は伝統的に形而上学と呼ばれてきた領域であり、結論として工学科学の哲学は——機能・手段・解釈・意図・行為規則・価値を経て——最終的に技術の形而上学へ根を下ろさねばならない。それは不変の philosophia perennis ではなく、homo faber の概念の時代依存的な明確化であり、animal rationale の概念の同様の明確化にもつながりうる。 ## 新規性 - 「工学=応用科学」説への反論としては Bunge(1966)自身の議論が既に緊張をはらんでいたが、Poser はこれを Bunge の枠組み内部からではなく、機能(function)・目的論(teleology)・規則(rule)という独自の語彙で再構成する点に新規性がある。当時(1998 年)同時期に、[[Walter Vincenti]] も工学設計知識を fundamental design concepts など 6 要素・7 分類に整理し「工学は応用科学以上のものである」と論じていた([[@1998__IEEECS__SWEBOK Straw Man - Chapter 3 Context and Relationships]] が参照する Vincenti の議論)。両者は互いを引用せず独立に同じ年に同じ論敵(応用科学テーゼ)を退けているが、Vincenti は工学設計知識の分類体系(6 要素・7 分類)という記述的・分類学的な道具立てで、Poser は規則/法則・know-how/know-why という規範的・認識論的な道具立てで反論を組み立てている点で対照的である(Source: §5 vs [[@1998__IEEECS__SWEBOK Straw Man - Chapter 3 Context and Relationships]])。 - 「技術的解釈学(technological hermeneutics)」という用語そのものが本論文の独自の造語ないし整理であり、Gadamer 系の解釈学の伝統(§10 で言及されるのみで詳述はされない)を技術の哲学へ接続する試みとして、本 wiki には初めて記録される概念である。 - [[人工物の科学]](Herbert A. Simon, *The Sciences of the Artificial*, 1996)と比較すると、Simon は人工物を「自然法則からの自由の欠如」と「人間の目標への適応」という二重性格で特徴づけ、工学を「合成(synthesis)」・科学を「分析(analysis)」に対応させる存在論的・方法論的な区別を立てた。Poser は同じ 1990 年代後半に、人工物という存在論的カテゴリそのものを(クローン羊や遺伝子改変生物を例に)疑わしいとして退け、規則の真理不可能性という認識論的な切り口から独立に類似の結論(工学は科学の劣化版でも単純な応用でもない)に至っている。両者は「科学=記述(is)、工学=規範(ought)」という直感を共有しながら、その根拠づけの道具立てが全く異なる(Simon: 命令論理の可能世界による還元、Poser: 規則の真理値欠如)。 ## 考察 - 本論文の論証は、まず存在論(§3)・心理学的能力(§4)・目的論的立場(§5)という 3 つの伝統的な区別を順に棄却し、その空白を機能主義(§6-7)・規則の理論(§8)・know-how/know-why 論争への応答(§9)・解釈学(§10)・価値論(§11)という独自の積み上げで埋める構成を取る。哲学エッセイとしての性格上、各論点は詳細な実証よりも先行研究(Bunge、von Wright、Rorty、Toulmin、Starnberg 学派、VDI)への批判的言及によって進められる。 - 特に§9 の Finalisierungsthese 批判は、AIDS・パーキンソン病・癌という当時(1998 年)進行中だった医学的難問を経験的な反証事例として用いており、抽象的な概念論争に時事的な実証の重みを与えている。 - §11 の「技術は一水準、科学は多水準」という Bunge の図式の逆転は、遺伝子工学のような当時の新興技術が要求する生態学的・規範的考慮を先取り的に指摘しており、後年の技術アセスメント(technology assessment)論の先駆的な論点になっている。 ## 強み・弱点/課題 **強み** - 存在論・創造性・応用科学という 3 つの素朴な区別を順に丁寧に退け、代替として機能・規則・解釈学という一貫した独自の語彙を組み立てている構成の明快さ。 - Bunge・von Wright・Rorty・Toulmin・Starnberg 学派という複数の異なる立場を横断的に参照し、それぞれの強みと限界を選び取りながら統合している。 - 「技術的解釈学」という概念によって、行為・工学科学・局所条件という 3 つの異なるスケールを単一の解釈学的枠組みで統一的に扱っている点。 **弱点・課題** - Gadamer 系の解釈学理論そのものへの言及は「詳述する余地がない」と明言されており(§10)、技術的解釈学の概念装置は示唆にとどまり体系的に展開されていない。 - 規則(rules)の「真でも偽でもない」という主張と、規則が基礎科学研究によって「根拠づけられねばならない(§9)」という主張の関係——根拠づけられた規則がなお真理値を持たないとはどういうことか——が本論文内で十分に架橋されていない。 - ソフトウェア・情報技術・AI 関連の技術(§3 で「artificial intelligence によって自動的に操縦されるシステム」と一度だけ言及)への言及は極めて限定的であり、1998 年時点の議論として当然ではあるが、デジタル技術特有の論点(コード・アルゴリズムの規則としての性格)は扱われていない。