# 記述的知識と規範的知識
Navigation: [[index]] | [[overview]]
## 定義
記述的知識(descriptive knowledge)と規範的知識(prescriptive knowledge)は、Walter Vincenti が第6章の沈頭リベット接合(flush riveting)の事例分析から導いた、工学知識を性格によって二分する枠組みである。**記述的知識**は、その語のとおり「物事がどうであるか」を記述する知識であり、事実あるいは実際の状態についての知識である。真偽・正確さ(veracity、correctness)によって評価される。**規範的知識**は、対照的に「望ましい結果を得るために物事がどうあるべきか」を規定する知識であり、手続きや実践についての知識である。有効性の程度・成功や失敗の度合い(effectiveness、degree of success or failure)によって評価される。この評価基準の違いから、記述的知識は工学者が任意に(willfully)調整できる性質のものではないのに対し、規範的知識は、より有効にするか、あるいはコストなど他の考慮事項との兼ね合いでより効果を弱めるか、工学者が意図的に変更できるという決定的な違いが生じる。(Source: [[@1990__JohnsHopkins__What Engineers Know and How They Know It - Chapter 6 Design and Production - The Innovation of Flush Riveting in American Airplanes, 1930-1950]], p.198)
Vincenti はこの区別を、沈頭リベット接合の強度・生産知識を7つの観点で対比した表6-1(目的による知識の違い)の分析から導いた。表の第6行に挙げた3つの知識例のうち、リベットの**許容強度(allowable strength)**は、ある種類・直径のリベットとある材質・厚みの板の組み合わせが特定の荷重で破断するという事実の陳述であり、記述的知識の典型である。実験技術の向上によってより精密にはなりうるが、研究者や設計者が目的に応じて意図的に変えることはできず、実際どの企業でも同じ値になった。これに対し、**板厚の限界値(sheet-thickness limits)**――ある材質・リベット種別・直径についてどの板厚を避けるべきかを示す限界――と、**ディンプリングダイの形状寸法**は、いずれも規範的知識である。前者は企業ごとに生産技術者の判断に基づいて異なる値が設定され、後者も生産技術者が接合の平滑性(空力的有効性)を高める方向に変更できる。両者とも、工学者が技術的有効性とコストなど他の考慮事項の間でトレードオフを取る自由を持つ点が、許容強度には存在しない自由である。(Source: 同上, p.196-198)
この分析から Vincenti は、表6-1が示す「生産のための知識」「生産要件由来の設計知識」「強度要件由来の設計知識」という**目的(purpose)による分類よりも、記述的/規範的という性格による分類のほうが、工学認識論の議論としてより根本的(more fundamental)でありうる**と結論づける。生産のための知識と生産要件由来の設計知識の共通点が大きいのは、目的が異なっても両者がともに規範的知識であり、生産活動という同じ土壌に根ざしているからだと説明される。ただし著者は、生産のため・生産由来の設計のための知識が常に規範的知識だけからなるわけではない(材料物性などの記述的知識も含まれうる)と留保を付けている。(Source: 同上, p.196-198)
この二分法は工学の**明示的知識(explicit knowledge)**の範囲にとどまる。第6章はさらに、言葉・図・表として明示できない[[暗黙知]](tacit knowledge)を加えた三分法を示し、規範的知識と暗黙知をあわせて「手続き的知識(procedural knowledge、Gilbert Ryle の言う knowing how)」としてまとめる図式を提示する。この三分法(記述的知識/規範的知識/暗黙知)は、著者が第7章で本格的に展開する工学知識の全体的な分類体系の出発点になる。(Source: 同上, p.199-200)
## 第7章での再定式化
第7章は、第6章で導入されたこの二分法を「定量的データ(quantitative data)」カテゴリの内部区分として明示的に再導入する。定義そのものに変更は無いが、適用範囲が明確に拡張される。記述的知識は「物事がどうであるかについての知識」であり、物理定数・物質の性質・物理過程の性質に加え、人間に関する情報(パイロットが及ぼしうる最大の力など、第3章の飛行品質の事例)も含む。規範的知識は「望ましい結果を得るために物事がどうあるべきかについての知識」であり、生産のための工程仕様(process specifications)の多くがこれに該当する例として再確認される。第7章の新しい点は、この区分が数量データに限らず**理論・基本設計概念・設計手続きにも及ぶ**と明言したことにある──数学理論は所与の仮定・条件のもとでデバイスや過程がどう振る舞うかを計算可能にする点で記述的であり、[[動作原理]]・通常形態・技術仕様はデバイスが意図した目的を果たすためにどうあるべきかを規定する点で規範的である。次のカテゴリである設計の手段(design instrumentalities)の手続きの多くもまた、設計者に必要な設計をどう達成するかを示唆するという意味で規範的である。(Source: [[@1990__JohnsHopkins__What Engineers Know and How They Know It - Chapter 7 The Anatomy of Engineering Design Knowledge]], p.216-217)
さらに第7章は、6カテゴリ×7活動の要約表(表7-1)と、第6章で導入した記述的/規範的/暗黙知の三分法との関係を「表7-1に対して**直交する(orthogonal)**軸として適用できる」と明示的に位置づける。すなわち、6カテゴリ×7活動が工学知識を「何のカテゴリか」「何によって生成されたか」という2軸で整理するのに対し、記述的/規範的/暗黙知の三分法は工学知識を「どのような性格の知識か」というまったく別の軸で横断的に切り分ける枠組みだということである。著者はこの2つの分類体系のどちらも「厳密な区分ではなく見取り図のための枠組み」だと繰り返し断っている。(Source: 同上, p.235-236)
## 横断的知見
- 第6章は記述的/規範的の区分を生産(沈頭リベット接合)という単一の技術領域の内部で導き出したのに対し、第7章はこれを設計知識全体(基本設計概念・基準と仕様・理論的道具・定量的データ・実践的考慮事項・設計の手段の全6カテゴリ)へ横断的に適用できる軸として再定式化する。第6章単独では「この区分は生産知識に固有の性格分類なのか、工学知識一般に及ぶのか」は判定できなかったが、第7章が「動作原理・通常形態・技術仕様は規範的、数学理論は記述的」と明言したことで、区分が生産知識に限定されないことが確定した。これは [[工学設計知識]] concept の未解決の問い「目的(生産/設計)による分類より性格による分類のほうが根本的か」に対する、著者自身による部分的な回答になっている。(Source: [[@1990__JohnsHopkins__What Engineers Know and How They Know It - Chapter 6 Design and Production - The Innovation of Flush Riveting in American Airplanes, 1930-1950]], [[@1990__JohnsHopkins__What Engineers Know and How They Know It - Chapter 7 The Anatomy of Engineering Design Knowledge]])
- 第6章は記述的/規範的/暗黙知の三分法を単独の分類軸として提示していたが、第7章はこれを表7-1(6カテゴリ×7活動)と並置し「直交する2つの枠組み」と位置づけたことで、工学知識の分類が単一の樹形図では尽くせず、複数の独立した軸の組み合わせとして理解すべきものであることが明らかになった。この「複数軸の直交」という構造そのものが、工学知識の複雑さ・非階層性を象徴している。(Source: 同上)
## 未解決の問い
- 記述的知識と規範的知識という2つの軸と、6カテゴリ×7活動という別の2軸(表7-1)が「直交する」というとき、その直交性は具体的にどう検証できるか。著者は概念的な主張にとどめており、両者を掛け合わせた具体的なマトリクスは本書中に示されていない。
- 「生産のため・生産由来の設計のための知識が常に規範的知識とは限らない」という著者の留保は、具体的にどのような反例を念頭に置いているか(本文では明示されていない)。
- ソフトウェア工学における仕様(specification)・設計判断・テスト結果は、この二分法にどう対応づけられるか([[ソフトウェア工学知識体系]] との接続は未検討)。
- 記述的知識と規範的知識の境界が曖昧なケース(例: 経験則に基づく安全率の設定)はどちらに分類すべきか。著者自身、区分は「鋭く不連続なものではない」と留保している(Source: ch.6, p.200)。
## 関連
- 概念: [[工学設計知識]] — 本 concept が細分化する工学知識のハブ concept。
- 概念: [[暗黙知]] — 記述的/規範的知識に加わる第3の知識種別。procedural knowledge として規範的知識と対をなす。
- 概念: [[生産のための知識]] — 表6-1の「目的による分類」を要約する concept。本 concept の分析対象そのもの。
- 概念: [[動作原理]] — 第7章が規範的知識の代表例として位置づける概念。
- ソース: [[@1990__JohnsHopkins__What Engineers Know and How They Know It - Chapter 6 Design and Production - The Innovation of Flush Riveting in American Airplanes, 1930-1950]] / [[@1990__JohnsHopkins__What Engineers Know and How They Know It - Chapter 7 The Anatomy of Engineering Design Knowledge]]
## 出典
- Walter G. Vincenti, *What Engineers Know and How They Know It*, The Johns Hopkins University Press, 1990, Chapter 6, pp. 195-200; Chapter 7, pp. 216-217, 235-236.