# 自己複製機械
## 定義
自己複製機械(self-reproducing machine、本文中では"self-propagating machine"とも表記される)とは、機械が自身と同じ機能を持つ複製を作り出せるかという問いを扱う概念である。Wienerは「機械」と「自己増殖(self-propagating)」の両方の語が重要だと強調する。機械は単なる物質の形ではなく特定の目的を達成する主体(agency)であり、自己増殖とは単に有形の複製を作ることではなく、同じ機能を持ちうる複製を作ることを意味する。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 9 On Learning and Self-Reproducing Machines]] ch.9 p.177-178)
Wienerはここで2つの異なる問いを区別する。第一は純粋に組み合わせ論的な問いで、「機械が十分な部品数と十分に複雑な構造を持てば、自己複製をその機能の一つとして持ちうるか」というものであり、故John von Neumannがすでに肯定的に答えているとする。第二は、自己複製機械を実際に構築する操作手順そのものを問う問いであり、Wienerはこちらに取り組む。ただし全ての機械を対象とせず、**非線形トランスデューサ(non-linear transducer)**——時間の関数を入力とし、時間の関数を出力とし、出力が入力の過去によって完全に決まるが、入力の和に対して出力が線形に加算されない装置——という、非常に一般性の高い機械のクラスに限定する。非線形トランスデューサは時間並進不変性を持つ。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 9 On Learning and Self-Reproducing Machines]] ch.9 p.178)
## 非線形トランスデューサの模倣手続き
Wiener自身(『Nonlinear Problems in Random Theory』, 1958)とDennis Gabor(ロンドン大学)がそれぞれ独立に開発した方法は、いずれも非線形トランスデューサの出力を、同じ入力を持つ一連の非線形トランスデューサの出力の、可変係数付きの線形結合として表現する。この表現により、線形理論の道具(最小二乗法など)を非線形トランスデューサの設計に転用できる。構成要素の個々の出力は、入力の過去のラゲール係数を引数とするエルミート多項式の積として与えられる。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 9 On Learning and Self-Reproducing Machines]] ch.9 p.178-180)
係数の決定には、ショット雑音(shot effect、真空管雑音)のような統計的に**メトリック推移的(エルゴード的)**な入力を共通の試験信号として2つのトランスデューサに与える。エルゴード性により、アンサンブル平均をこの1つの試験信号の時間平均で代用できるため、未知のトランスデューサ(ブラックボックス)と既知のトランスデューサの出力の平均積として係数を決定できる。この係数をフィードバック装置に自動的に転写することで、人間の介入なしに、任意の非線形トランスデューサの特性を後天的に獲得できる「ホワイトボックス」を構成できる——これがWienerの言う自己複製機械の実際の構築手順である。章末でWienerは、この手続きと、遺伝子が鋳型として不定形なアミノ酸・核酸の混合物から同じ遺伝子の分子を形成する過程、あるいはウイルスが宿主の組織・体液から自身と同じ分子を形成する過程との間に、哲学的に非常に近い類似性があると述べる。ただし細部の同一性までは主張しない。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 9 On Learning and Self-Reproducing Machines]] ch.9 p.179-180)
## 横断的知見
- Wienerが示す「ホワイトボックスに共通のランダム入力を与え、未知のブラックボックスとの出力の相関(平均積)から係数を決める」という手続きは、後年に**ブラックボックス[[システム同定]]**として定式化される手続き——対象システムの内部機構に関する知識なしに、入出力の観測データへの統計的推定(主に最小二乗法)でモデルを構築する手続き——と構造的に同型である。両者とも「内部機構を仮定せず、共通の入力に対する出力の対応関係だけからモデルを組み立てる」という発想と「最小二乗法による係数推定」を共有する。相違点は、Wiener(1961)の対象が任意の非線形トランスデューサをエルミート多項式基底で展開する一般論であるのに対し、後年のシステム同定の定式化(2004年のWiley本の四段階手続き)は主に線形ARXモデルを対象とし、モデルスコープ・実験計画・パラメータ推定・モデル評価というループ構造まで具体化している点にある。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 9 On Learning and Self-Reproducing Machines]], [[システム同定]])
- 本章のエルゴード性(メトリック推移性)への依拠——アンサンブル平均を単一の長時間観測の時間平均で代用できるという主張——は、同書第3章 Time Series, Information, and Communication が予測・フィルタ理論のためにBirkhoff・von Neumannのエルゴード定理を援用する議論と同じ理論装置([[エルゴード理論]])の再利用である。第3章では時系列の予測という問題に、第9章では非線形トランスデューサの模倣という別の問題に、同一の数学的道具立てが転用されている。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 9 On Learning and Self-Reproducing Machines]], [[ノーバート・ウィーナー]]の該当節)
## 未解決の問い
- Wienerが引用する「von Neumannが組み合わせ論的な自己複製の可能性をすでに肯定的に解決した」という記述の原典(von Neumannの自己複製オートマトンに関する研究)を直接確認し、Wienerの要約がどこまで正確かを検証する必要がある。
- Dennis Gaborの1959年の講演(“Electronic Inventions and Their Impact on Civilization”)には、本章で要約された以上の技術的詳細があるはずで、一次資料に当たれば非線形トランスデューサ理論の技術的な差異(Wiener版とGabor版の違い)をより正確に記述できる可能性がある。
- 本章の「ホワイトボックスがブラックボックスの特性を後天的に獲得する」という枠組みと、遺伝子の鋳型作用・ウイルスの自己複製との類推は、Wiener自身が明言するとおり哲学的な類似にとどまる。この類推が後年の分子生物学・人工生命研究でどう受け止められた(あるいは無視された)かは、本章単独では判断できない。
## 関連
- ソース: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 9 On Learning and Self-Reproducing Machines]]
- 実体: [[ノーバート・ウィーナー]]
- 関連概念: [[個体発生的学習と系統発生的学習]] / [[システム同定]] / [[エルゴード理論]](参照のみ、編集対象外)
## 出典
- Norbert Wiener, *Cybernetics: or Control and Communication in the Animal and the Machine*, 2nd ed., The MIT Press, 1961, Chapter 9(印字 pp.177–180)。