# 社会のホメオスタシス ## 定義 [[ノーバート・ウィーナー]]は『サイバネティクス』第8章(原書第I部, 1948)で、生理学的[[ホメオスタシス]](→第4章)の概念を社会・「団体政治(body politic)」へ拡張して論じる。中心的な論駁対象は、自由市場において各取引者の利己性(高く売り安く買おうとする行動)が結果として価格の安定的な動態と共通善をもたらすという、アメリカで公式の信条にまで高められた通念である。ウィーナーはこれを、証拠が支持しない「単純すぎる理論」として退け、市場を[[John von Neumann]]と[[Oskar Morgenstern]]の一般ゲーム理論の対象になる「ゲーム」として捉え直す。プレイヤーが多数になるゲームは極度の不確定性・不安定性に陥り、成立する連合は裏切り・寝返り・欺瞞に終わりがちであるとして、「いかなるホメオスタシスも存在しない」と結論する。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 8 Information, Language, and Society]] pp.158-160) 他方でウィーナーは、小規模で緊密な共同体(文明国でも未開の村落でも)はかなりの程度のホメオスタシスを持つと対比する。社会的圧力が逸脱者を「共同体を自衛的に去る」水準まで抑制し、大規模な共同体で失われる自己安定化の機能を果たす。大規模共同体でホメオスタシスが失われる最大の要因として、ウィーナーは通信手段の統制を挙げる。新聞・ラジオ・映画・書籍出版が広告収入や営利という副次的機能に侵食され、富裕階級の手に集中し、権力志向者を引き寄せる「三重の収縮」を経ることで、社会的ホメオスタシスに最も寄与すべき仕組みが、最も反ホメオスタシス的な権力とカネのゲームに委ねられるとする。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 8 Information, Language, and Society]] pp.161-162) ## 横断的知見 - **市場が最適でないという診断は共有されるが、その理由づけは異なる**: [[市場と組織]] に集約された Herbert A. Simon の議論は、パレート最適性の定理を要する完全競争・効用最大化という前提を現実の市場(満足化する主体からなる)は満たさないとし、「驚くべきは市場が最適化することではなく(実際しない)、しばしば清算することのほうだ」と述べて、市場の価値を最適性ではなく計算負荷の節約に置き直す。ウィーナー(1948)はこれより半世紀近く早く、同じく市場の自己安定化を否定するが根拠は異なる。フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンのゲーム理論により、多人数の市場ゲームは連合の裏切り・寝返りを伴う極度の不確定性・不安定性に陥ると論じ、「いかなるホメオスタシスも存在しない」と結論する。Simon の否定は計算論的(限定合理性ゆえに最適化条件を満たせない)、ウィーナーの否定はゲーム理論的(多人数ゲームの構造そのものが不安定)であり、同じ結論(市場は最適でも自己安定的でもない)に異なる経路で到達している。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 8 Information, Language, and Society]] pp.158-159, [[市場と組織]]) - **同じゲーム理論の適用が、ウィーナーでは記述・診断にとどまり、現代の SRE 実務では処方へと転じる**: [[ゲーム理論とSRE]] に集約された Barteneva(2026)のフレームワークは「SRE work is mechanism design. Redesign the game, so better behavior becomes the rational choice.」として、ペイオフ・情報・リスク帰属というゲームのルールを設計し直すことで望ましい均衡を作り出せると処方する。ウィーナー(1948)は同じくゲーム理論(フォン・ノイマン−モルゲンシュテルン)を市場という社会ゲームの分析に用いるが、結論は診断にとどまる。多人数ゲームの不確定性は構造的な帰結として提示され、対抗策として挙げられるのは大規模共同体で失われた社会的圧力を部分的に代替しうる小規模共同体の慣行であって、ゲームのルール自体を設計し直すという発想ではない。約80年を隔てて、同じ理論装置(ゲーム理論)が社会システムの不安定性を「説明する道具」から「修正する道具」へと役割を変えていることが読み取れる。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 8 Information, Language, and Society]] pp.159-162, [[ゲーム理論とSRE]]) - **「計画される側もゲームのプレイヤーである」という洞察は、ウィーナーの市場批判と Simon の計画論の双方に独立に現れる**: [[社会計画]] に集約された Simon の議論は、計画の対象となる社会の成員を受動的な道具ではなく「自らの目標のために系を使おうとする設計者」だとし、経済安定化政策が企業・消費者の適応的応答によって相殺されうる例を「ゲームとしての計画」という枠組みで扱う。ウィーナー(1948)はこの洞察を、計画者と被計画者の関係ではなく市場参加者どうしの関係に適用し、フォン・ノイマンの「完全に知的で完全に非情なプレイヤー」という描像そのものを「抽象化であり事実の歪曲」だと批判したうえで、現実には老獪な「悪漢」と組織的に搾取される「愚者」が入り混じることを強調する。両者とも von Neumann のゲーム理論的な社会観を出発点にしながら、Simon はそれを計画者-被計画者関係の設計指針として、ウィーナーは市場参加者間の力学の記述として、異なる関係軸に適用している。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 8 Information, Language, and Society]] p.160, [[社会計画]]) ## 未解決の問い - ウィーナーは「いかなるホメオスタシスも存在しない」と大規模市場を診断するが、ゲームのルール自体を設計し直すという処方(現代のメカニズムデザイン)には踏み込まない。これは1948年時点で構造的に不可能だと考えたためか、単に本章の射程外だったためかは、本章の記述だけでは判断できない。 - Simon の「市場は最適化しないがしばしば清算する」という計算論的な擁護と、ウィーナーの「多人数ゲームは構造的に不安定」というゲーム理論的な否定は、同じ現象(市場は最適でない)についての整合的な二つの記述か、それとも実際には異なる主張(清算することと安定的に清算し続けることは別か)をしているのか。 - ウィーナーが小規模共同体のホメオスタシスの源泉として挙げる「社会的圧力による逸脱者の抑制」は、通信手段が全国・全世界規模で均質化した現代において、同じ機構がなお働きうるのか、それとも通信手段の統制という反ホメオスタシス要因によって既に上書きされているのか。 - 集団の自律性を「外部から流入する決定の数と内部で下される決定の数の比較」で測るというウィーナーの尺度は、本 wiki が収録する他のどのソースでも定量的に運用された例が見当たらない。運用可能な指標として具体化した先行研究はあるか。 ## 関連 - 概念: [[ホメオスタシス]](生理学的原義、第4章) / [[サイバネティクス]] / [[市場と組織]] / [[ゲーム理論とSRE]] / [[社会計画]] - 実体: [[ノーバート・ウィーナー]] / [[John von Neumann]] / [[Oskar Morgenstern]] / [[Herbert A. Simon]] - ソース: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 8 Information, Language, and Society]] - 書籍: [[Cybernetics]] ## 出典 - Norbert Wiener, *Cybernetics: or Control and Communication in the Animal and the Machine*, 2nd ed., The MIT Press, 1961, Chapter VIII "Information, Language, and Society"(印字 pp.155–165)。