# 状態記述と過程記述 ## 定義 Simon は複雑システムを理解しようとするときに利用できる記述の主要な様式を 2 つに分ける。 - **状態記述(state description)**: 「円とは、ある与えられた点から等距離にあるすべての点の軌跡である」。感知される世界(the world as sensed)を特徴づけ、対象を同定する基準を与える。しばしば対象そのものを模して与えられる。絵、設計図、大半の図、化学構造式がこれにあたる。 - **過程記述(process description)**: 「円を作図するには、コンパスの一方の腕を固定し、もう一方の腕が出発点に戻るまで回せ」。働きかけられる世界(the world as acted upon)を特徴づけ、望ましい性質を持つ対象を生成する手段を与える。レシピ、微分方程式、化学反応式がこれにあたる。 Euclid には、後者の過程を実行すれば前者の定義を満たす対象が得られることが暗黙に含まれている。この 2 つの様式は、構造を把握する我々の経験の縦糸と横糸である。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 8 The Architecture of Complexity - Hierarchic Systems]] ch.8 "State Descriptions and Process Descriptions" p.210) 感知される世界と働きかけられる世界の区別は、**適応する有機体が生存するための基本条件**を定める。有機体は、感知される世界における目標と、過程の世界における行為との対応づけを作らなければならない。この対応づけが意識化され言語化されたとき、それが通常**手段目的分析(means-ends analysis)**と呼ばれるものにあたる。望ましい状態と現に存在する状態が与えられたとき、適応する有機体の課題は両者の差を見つけ、その差を消す過程を見つけることである。(Source: 同 ch.8 p.210) ## 問題解決と Meno のパラドクス 問題解決は、同じ複雑な現実についての状態記述と過程記述のあいだの絶えざる翻訳を要求する。Plato は『メノン』で、答えをあらかじめ知っているのでなければ問題の答えを発見し認識できるはずがないとして、すべての学習は想起であると論じた。Simon は、世界に対する我々の二重の関係がこのパラドクスの源であると同時に解でもあると述べる。我々は解の**状態記述**を与えることで問題を提起する。課題は、初期状態から目標状態を生み出す過程の系列を発見することである。**過程記述から状態記述への翻訳**が、成功したことを認識させてくれる。解は真に我々にとって新しく、それを認識できることの説明に Plato の想起説は要らない。(Source: 同 ch.8 pp.210-211) 人間の問題解決と呼ばれる活動は、基本的には目標へ至る経路の過程記述を発見しようとする手段目的分析の一形態であるという証拠が蓄積している。一般的な図式は「設計図が与えられたとき、対応するレシピを見つけよ」である。科学の営みの多くもこの図式の適用にほかならない。すなわち、ある自然現象の記述が与えられたとき、その現象を生み出す過程についての微分方程式を見つけよ、というものである。(Source: 同 ch.8 p.211) ## 複雑性の記述は簡約できる 複雑システムの記述はそれ自体が複雑な記号の構造になりうるが、**記述が記述される対象と同程度に煩雑でなければならないという保存則は存在しない**。Simon は 8 × 8 の 2 次元配列の例を挙げ、繰り返し現れる 2 × 2 の部分配列に記号を割り当て、さらにその組み合わせに記号を割り当てていくことで、64 記号の構造を 35 記号の記述に縮められることを示す。簡約は元の構造の**冗長性**の利用によって達成される。(Source: 同 ch.8 "Simple Descriptions of Complex Systems" pp.208-209) 構造がまったく冗長でない、すなわちその構造のどの側面も他の側面から推論できないならば、その構造は自らの最も単純な記述である。それを提示することはできても、より単純な構造によって記述することはできない。これに対し階層構造は高度な冗長性を持つため、しばしば経済的に記述できる。冗長性は 3 つの形をとる。 1. **少数の種類のサブシステムの組み合わせ**: 階層システムは通常、少数の異なる種類のサブシステムのさまざまな組み合わせと配置からなる。タンパク質の多様性はわずか 20 種のアミノ酸の配置から生じ、90 余りの元素があらゆる分子の構成要素を与える。ゆえに記述は、複雑システムが生成される基本サブシステムの集合に対応する限られた語彙から構成できる。 2. **準分解可能性と空虚な世界仮説**: 階層システムはしばしば準分解可能であり、部分の集約的な性質だけが相互作用の記述に入る。この一般化を Simon は**空虚な世界仮説(empty world hypothesis)**と呼ぶ。ほとんどのものはほとんどの他のものと弱くしか結びついておらず、そこそこの現実の記述には可能な相互作用のごく一部だけを考慮すればよい。存在しないものを言及せずに済ませる記述言語を採れば、ほぼ空虚な世界はきわめて簡潔に記述できる。Mother Hubbard は戸棚が空だと言うのに、あり得る中身を全部数え上げる必要はなかった。 3. **再符号化(recoding)**: 適切な再符号化によって、複雑システムの構造に潜在していた冗長性を顕在化できる。動的システムの記述で最も普通の再符号化は、時間経路の記述を、その経路を生成する微分法則の記述で置き換えることである。単純さは、ある時刻の系の状態と少し後の状態のあいだの一定の関係に宿る。数列 1, 3, 5, 7, 9, 11, … の構造は「各項は前項に 2 を加えて得られる」と述べるのが最も単純だが、これは Galileo が斜面を転がる球の速度を記述するのに見出した数列である。 (Source: 同 ch.8 p.209) 世界の冗長性を利用して世界を単純に記述することが科学の仕事だ、というのはよく知られた命題である。(Source: 同 ch.8 p.210) ## 自己再生産における記述 複雑システムの簡潔な記述という問題は、人間の世界認識の理解だけでなく、複雑システムがいかにして自らを再生産できるかの説明にも関わる。原子量の大きい原子や複雑な無機分子は、複雑性の進化が自己再生産を含意しないことの証人である。しかしある複雑形態の存在が、それとそっくり同じ別の形態の生成確率を高めるなら、複合体と構成要素のあいだの平衡は前者に大きく傾きうる。対象の記述が十分に明確かつ完全であれば、記述から対象を再生産できる。(Source: 同 ch.8 "The Description of Complexity in Self-Reproducing Systems" pp.211-212) 再生産の過程は状態記述と過程記述のどちらの情報の上にも構築されうる。最も単純な可能性は、複雑システム自身が自らの記述として働くこと、すなわち複製が形成される鋳型になることである。DNA の再生産の有力な理論では、互いに「陰画」の関係にある 2 本の鎖からなる二重らせんがほどけ、各半分が新しい対の半分が形成される鋳型として働く。しかし鋳型による再生産は関与する過程の 1 つにすぎない。DNA は自らと RNA の鋳型として働き、RNA はタンパク質の鋳型として働くが、タンパク質は鋳型ではなく触媒として細胞内の反応速度を支配することで代謝を導く。すなわち**RNA はタンパク質の設計図であり、タンパク質は代謝のレシピである**。(Source: 同 ch.8 p.212) ## 個体発生は系統発生を繰り返す 染色体の DNA は、有機体の状態記述としてではなく、栄養素からその有機体を構築し維持するための一連の「命令」として情報を記録している。Simon はこれをレシピになぞらえ、また記号構造の構築を支配する命令の系列という点で計算機プログラムにもなぞらえる。遺伝物質をプログラムと見なせば、それは自己再生産するプログラムであり、かつ Darwin 的進化によって発展したプログラムである。時計職人の論証から、その祖先の多くもまた部分組立体のための実行可能なプログラムであったと言える。(Source: 同 ch.8 "Ontogeny Recapitulates Phylogeny" pp.212-213) 「個体発生は系統発生を繰り返す」という生物学の一般化は、複雑な問題を**すでに解かれた問題に帰着させる**解法として解釈できる。世紀の変わり目に職人に自動車の作り方を教えるなら、荷馬車から轅を外し原動機と変速機を付けよと言うのが最も簡単だっただろう。同様に、遺伝的プログラムは進化の過程で、単純な形態をより複雑な形態へ変える新しい過程を付け加えることで改変されうる。原腸胚を作るには、胞胚を取ってそれを変えよ、というわけである。(Source: 同 ch.8 p.213) 単細胞の遺伝的記述と、細胞を多細胞生物へ組み上げる遺伝的記述とは、かなり異なる形をとりうる。細胞分裂による増殖には、最小限、状態記述(たとえば DNA)と、それを細胞分裂の複製過程の一部として複写する単純な「解釈過程」があればよい。しかし発生における細胞の分化にはそれでは足りない。過程記述と、やや複雑な解釈過程によって、成体を一連の段階を経て生み出す機構と考えるほうが自然である。各段階は前の段階に作用素が働いた結果を表す。(Source: 同 ch.8 pp.213-214) 2 つの記述の相互関係を概念化するのはより難しいが、本章のそれまでの議論から得られる 1 つの手がかりは、**記述自体が階層的あるいは準分解可能な構造を持ちうる**ということである。下位の水準が個々の細胞の速い「高周波」の動学を支配し、上位の相互作用が発生しつつある多細胞生物の遅い「低周波」の動学を支配する。細胞代謝を支配する遺伝情報と、多細胞組織における分化した細胞の発生を支配する遺伝情報を区別できる範囲で、理論的記述の課題は大幅に単純化される。(Source: 同 ch.8 p.214) 過程言語で記述が保存された進化する系では個体発生が部分的に系統発生を繰り返すという一般化は、生物学の外にも適用できる。教育における知識の伝達がその例で、多くの主題、とくに急速に進歩する科学では、初等から上級の課程への進行がかなりの程度、その科学自身の概念史をたどる進行になっている。幸い、この繰り返しは生物の場合と同様、文字どおりではない。後で訂正するためにフロギストン説を化学で教えたりはしない。しかし過去の蓄積を取り除くカリキュラム改訂は稀で苦痛を伴い、常に望ましいわけでもない。部分的な繰り返しが上級の知識への最も手早い経路である場合も多い。(Source: 同 ch.8 p.215) ## 要約 ある構造がどれだけ複雑か単純かは、それをどう記述するかに決定的に依存する。世界に見られる複雑構造の大半はきわめて冗長であり、その冗長性を使って記述を簡約できる。しかし簡約を達成するには、**正しい表現(representation)を見つけなければならない**。状態記述を過程記述で置き換えるという発想は近代科学の発展で中心的な役割を果たしてきた。微分方程式や差分方程式の系として表された動的法則が、多くの場合に複雑なものを単純に記述する鍵を与えてきた。この科学的探究の特徴は偶然でも表面的でもない。状態記述と過程記述の対応づけは、いかなる適応する有機体の機能にとっても、環境に対して目的をもって働きかける能力にとっても基本である。今日の遺伝機構の理解は、多細胞生物が自らを記述するときですら、過程記述すなわち遺伝的に符号化されたプログラムが倹約的で有用な表現になっていることを示唆する。(Source: 同 ch.8 "Summary: The Description of Complexity" p.215) ## 横断的知見 - Simon の「まったく冗長でない構造は自らの最も単純な記述であり、より単純な構造では記述できない」という命題は、[[コルモゴロフ複雑性]]における非圧縮性(n ビットの完全にランダムな系列はいかなるプログラムでも圧縮できず複雑さは n になる)と実質的に同じ主張を、形式的な計算理論の外側で述べたものである。ただし両者の関心は逆を向く。コルモゴロフ複雑性は最短プログラム長という**尺度**を定義することを目的とし、その一般的な計算不能性が中心的な帰結になる。Simon の関心は尺度ではなく、現実の複雑システムが**なぜ実際に冗長なのか**(少数種のサブシステムの組み合わせ、準分解可能性、再符号化)という構造的な理由の列挙にあり、簡約を達成するには正しい表現を見つけねばならないという実践的な帰結に向かう。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 8 The Architecture of Complexity - Hierarchic Systems]], [[@2026__30papers__Kolmogorov Complexity]]) - Simon の「空虚な世界仮説」は、[[コルモゴロフ複雑性]]の議論で問題になる「一様ランダムな文字列は圧縮不能でも『ランダム』と短く統計的に記述できる」という論点と表裏の関係にある。どちらも「記述の短さ」が記述言語の選択に依存することを指摘しているが、Simon は不在を言及せずに済ませる記述言語という**言語設計**の側から、コルモゴロフ複雑性の側は万能計算機の選択が加法定数にしか効かないという**普遍性**の側からこれを扱う。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 8 The Architecture of Complexity - Hierarchic Systems]], [[@2026__30papers__Kolmogorov Complexity]]) ## 未解決の問い - 状態記述と過程記述という 2 つの遺伝的記述が実際にどう相互関係するかを Simon は概念化できていない。本章が与える手がかりは「記述自体が階層的あるいは準分解可能でありうる」という 1 点にとどまる。 - Simon の「正しい表現を見つけなければ簡約は達成できない」という命題は、表現の探索そのものをどう行うかを未解決のまま残す。表現の発見を手段目的分析の枠内で扱えるのか。 - 冗長性を利用した記述の簡約という発想と、コルモゴロフ複雑性のような形式的な記述長の尺度とを、実務上どう接続できるか。 - 教育課程が科学の概念史を部分的に繰り返すことは、どの範囲で最も手早い経路であり、どこから累積した過去の負債になるのか。Simon は判断基準を与えていない。 ## 関連 - 概念: [[準分解可能システム]] / [[階層的複雑性]] / [[コルモゴロフ複雑性]] / [[最小記述長原理]] - 実体: [[Herbert A. Simon]] / [[The Sciences of the Artificial]] - ソース: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 8 The Architecture of Complexity - Hierarchic Systems]] ## 出典 - Herbert A. Simon, *The Sciences of the Artificial*, third edition, The MIT Press, 1996, Chapter 8 "The Architecture of Complexity: Hierarchic Systems", pp. 206-216. - 初出: H. A. Simon, "The Architecture of Complexity," *Proceedings of the American Philosophical Society*, 106(December 1962): 467-482.