# 注意の希少性 ## 定義 注意の希少性とは、情報を扱う系の設計において律速要因になるのが情報の量ではなく、それを受け取る人間の時間と注意である、というサイモンの主張を指す。設計問題の表現を選ぶには限界資源(limiting resource)を正しく同定せねばならず、希少な要素が情報である世界に適した設計表現は、希少な要素が注意である世界ではまったく誤った表現になりうる。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] ch.6 "Finding the Limiting Resource" pp.143-144) したがって真の設計問題は、人々により多くの情報を提供することではなく、彼らが情報の受信に使える時間を配分し、これから下す決定にとって最も重要で関連の深い情報だけが届くようにすることである。課題は情報を配る系(information-distributing systems)を設計することではなく、賢く情報を濾す系(intelligent information-filtering systems)を設計することである。(Source: ch.6 p.144) ## 限界資源の誤認が生む設計 - 国務省では、海外で危機が起きるたびに着信通信回線が輻輳し、テレタイプが受信速度に追いつかず何時間も遅れる問題があった。印字能力が限界要因と同定され、テレタイプを行印刷機に置き換えて出力を数桁上げる案が出された。次の環である国別担当官が処理できる量を誰も問わなかった。(Source: ch.6 p.143) - より深い分析をすれば、真のボトルネックは入ってくる情報を使わねばならない人間の意思決定者の時間と注意だと分かったはずである。ボトルネックの同定は、より洗練された設計問題を生む。危機の最中に着信する通信をどう濾せば、重要な情報が優先して意思決定者の目に触れ、重要でない情報は危機が過ぎるまで脇へ退けられるか、という問題である。容易な問題ではないが、部分的にでも解ければ、真の問題を悪化させるのでなく緩和する方向に働く。(Source: ch.6 pp.143-144) - 孤立した例ではない。アメリカの大企業に導入された第一世代の経営情報システムが概ね失敗と評されたのは、設計者が管理者への情報提供量を増やすことを狙い、無関係な事柄による注意の逸脱から管理者を守ることを狙わなかったからである。(Source: ch.6 p.144) - 1990 年代半ばに至ってもこの教訓は学ばれていない。「情報スーパーハイウェイ」が、それが生む渋滞や必要になる駐車空間への配慮なしに喧伝されている。新技術は 1 日の時間数も、人間が情報を吸収する能力も増やさない。(Source: ch.6 p.144) ## 組織における注意の配分 実践的な立場からは、我々が将来に関心を持つのは、満足のいく将来を確保するのに現在の行動が要るかもしれないからである。それを超える将来への関心は純粋な好奇心に帰され、労働の日ではなく余暇の日に属する。ゆえに大規模な設計問題では、即座の帰結を生む行動に加えて、新しい設備の開発に要する時間の遅れと、より遠い将来に必要になる技術と知識の体系の開発に要するさらに大きな時間の遅れを見越さねばならない。意思決定機関の注意もそれに応じて配分されねばならない。(Source: ch.6 "The Management of Attention" p.161) - 目前の必要への対応、すなわち火消しが、新しい設備投資や新しい知識への対応に優先するのは組織にありふれた現象である。総体としての議題が混み、緊急事態が頻発するほど、中期と長期の決定は無視されやすい。(Source: ch.6 pp.161-162) - 公式の組織ではしばしば、当面の圧力から何らかの形で隔離された計画部門を作ることに救済が求められる。しかし計画部門は二つの危険に直面する。有能な人員を擁するほど当面の問題への助力を求められ続け、ついには実務組織に吸い込まれて計画機能を果たせなくなる。逆にそれを防ぐに足るほど組織から遮断されると、今度は逆方向の経路が塞がり、実務組織の決定に影響を与えられなくなる。この困難を一挙に取り除く単純で自動的な方法はなく、組織の指導層による反復的な注意を要する。(Source: ch.6 p.162) ## 時間割引としての注意の節約 我々の価値体系に入る事象はすべて日付を持ち、その重要性は時間的距離とともに急激に落ちる。限定合理性の生き物にとってこれは幸運である。決定が遠隔と近接の帰結に等しく依存するなら、我々は永遠に思考に迷い込んで行動できなくなる。重い割引因子を時間的・空間的な遠さに応じて適用することで、選択の問題を限られた計算能力に見合う大きさに縮め、将来と世界にわたる帰結の積分が収束することを保証する。(Source: ch.6 "Discounting the Future" p.157) この近視は適応的なのではなく、我々の適応能力の限界の徴候であり、内部環境に属する適応の制約の一つだとサイモンは位置づける。社会生物学は近縁への保護の傾向を進化から説明するが、なぜ関心が将来に対してこれほど近視眼的かは説明しない。少なくとも説明の一部は、我々が遠い将来について、とりわけ自らの行動の遠い帰結について整合的に考えられないことにある。(Source: ch.6 p.157) ## 横断的知見 - **第 3 章が実験心理学として測った内部環境の限界が、第 6 章では情報システムの設計制約として現れる**。第 3 章は、異質な認知課題を横断して現れる限界が短期記憶の保持できるチャンク数(約 7、割り込みが入れば 2)と 1 チャンクの固定時間(約 8 秒)にほぼ尽きると論じた。第 6 章は同じ限界を測ることなく前提とし、「新技術は 1 日の時間数も人間が情報を吸収する能力も増やさない」という一文で情報システムの設計に持ち込む。心理学の実験結果が、そのまま社会規模の設計の外的制約として機能している。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]] ch.3 pp.61-68, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] ch.6 p.144) - **「注意の焦点」という同じ語が、第 4 章では表現を変える機構、第 6 章では設計されるべき対象として使われる**。第 4 章は、切り取られたチェッカーボード問題を解く鍵が、状況のうち問題に関連する特定の特徴に注意を焦点づけ、それらを含み無関係なものを省いた問題空間を組み立てることにあると論じた。第 6 章は同じ働きを個人の内側から取り出して制度の側に置き、重要な情報を優先させ重要でない情報を退ける濾過の系として設計せよと求める。個人の認知機構として記述されたものが、組織の設計課題へ外部化されている。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 4 Remembering and Learning - Memory as Environment for Thought]] ch.4 pp.108-109, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] ch.6 pp.143-144) - **第 5 章の「設計過程それ自体が設計者の資源の管理を伴う」という命題が、第 6 章では組織の議題の管理に拡大される**。第 5 章は、実りのない探索の筋に労力が無駄に散らないようにすることを設計過程の内在的な要求として挙げ、探索の打ち切り基準と操舵機構を同一の評価が担うと論じた。第 6 章はこの資源管理を個々の設計者から意思決定機関へ移し、短期・中期・長期の問題に注意をどう割り当てるか、計画部門をどこまで隔離するかという組織設計の問題として立て直す。設計の資源配分という主題が、探索木の枝の選択から組織の議題の設計へと尺度を変えている。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] ch.5 pp.124-127, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] ch.6 pp.161-162) - **第 2 章が市場と組織の存在理由に置いた「情報と計算の節約」が、第 6 章では情報システムの設計目標として反復される**。第 2 章は、Hayek による市場機構の擁護が最適性ではなく人間の計算能力の限界に立脚していたことを指摘し、市場も組織も決定を局所的な情報にもとづいて下せる主体へ割り当てることで情報と計算の負荷を分散させると論じた。第 6 章の情報濾過の要請はこれと同じ論理を、社会制度ではなく計算機システムの設計に適用したものになる。両者を並べると、限定合理性への対処という同一の目的が、制度の設計と情報システムの設計という二つの層で反復されていることが見える。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 2 Economic Rationality - Adaptive Artifice]] ch.2 pp.34-35, p.41, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] ch.6 p.144) ## 未解決の問い - 「賢く情報を濾す系」を設計する具体的な方法をサイモンは示していない。危機時に重要な情報を優先させる濾過が「容易な問題ではない」と述べるにとどまる。何をもって重要と判定するのか。 - 濾過の系が誤って重要な情報を捨てた場合の帰責と回復について、本章は論じていない。濾過の失敗の危険と、注意の飽和の危険をどう秤にかけるか。 - 計画部門を当面の圧力から隔離する度合いの均衡点を与える原理は示されていない。サイモン自身が「単純で自動的な方法はない」と認めている。(Source: ch.6 p.162) - 遠い将来への関心を割り引く「社会的利子率」がどう決まるかについては、貯蓄者の割引率を説明する文献も、社会的利子率がいかにあるべきかを論じる文献も「あまり説得的でない」とサイモンは述べる。この率は設計可能な変数なのか。(Source: ch.6 pp.157-158) - この主張は、vault 内の運用実務側の議論([[アラート疲労]]、[[オンコール]]、[[ダッシュボードとランブックの運用]] など)とどう接続するか。サイモンの立てた問題設定が、通知と可観測性の設計にそのまま持ち越せるかを確かめる必要がある。 ## 関連 - 概念: [[社会計画]] / [[限定合理性]] / [[チャンクと記憶の制約]] / [[情報処理システムとしての人間]] / [[問題の理解と表現]] / [[市場と組織]] / [[アラート疲労]] / [[オンコール]] - 章: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] / [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 2 Economic Rationality - Adaptive Artifice]] / [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]] / [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 4 Remembering and Learning - Memory as Environment for Thought]] / [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] - 実体: [[Herbert A. Simon]] / [[The Sciences of the Artificial]] ## 出典 - Herbert A. Simon, *The Sciences of the Artificial*, third edition, The MIT Press, 1996, Chapter 6 "Social Planning: Designing the Evolving Artifact", pp. 139-167. - Herbert A. Simon, 同書 Chapter 2 "Economic Rationality: Adaptive Artifice", pp. 25-50. - Herbert A. Simon, 同書 Chapter 3 "The Psychology of Thinking: Embedding Artifice in Nature", pp. 51-84. - Herbert A. Simon, 同書 Chapter 4 "Remembering and Learning: Memory as Environment for Thought", pp. 85-110. - Herbert A. Simon, 同書 Chapter 5 "The Science of Design: Creating the Artificial", pp. 111-138.