# 情報処理システムとしての人間 ## 定義 情報処理システムとしての人間とは、人間の思考を、記号を直列に処理し、容量の限られた高速記憶と大容量の半永久的記憶を持つ適応システムとして捉える見方である。この見方の要点は、思考を担う機構の複雑さを説明の中心に置かない点にある。行動が目標に向けて環境に適応している限り、行動が映し出すのは主として外部環境の特性であって、内部環境からは適応を制限する少数の性質しか現れない。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]]) ## 蟻の寓話 Simon はこの見方を、浜辺を歩く蟻の観察から導く。蟻の経路は不規則で複雑だが、その複雑さは蟻の中ではなく浜辺の表面にある。同じ浜辺で同じ場所に巣を持つ別の小さな生き物も、よく似た経路をたどるだろう。蟻は巣のおおよその方角しか分からず、途中の障害を予見できないので、遭遇するたびに進路を適応させる。視界が近いために、先の障害をあまり考えずに目の前の障害の迂回路を探る。 > An ant, viewed as a behaving system, is quite simple. The apparent complexity of its behavior over time is largely a reflection of the complexity of the environment in which it finds itself. Simon はこの「蟻」を「人間」に置き換えたものを、章全体で検証すべき経験的仮説として立てる。ただし二重に賭けを控える。第一に、腺や内臓まで備えた「全人」ではなく、思考する人(Homo sapiens)に議論を限る。第二に、記憶に蓄えられた膨大な情報は有機体の一部ではなく、それが適応する環境の一部と見なす。(Source: ch.3 p.51-53) 蟻を細胞や分子の水準まで顕微鏡的に見れば明らかに複雑だが、内部環境のそうした微細な詳細は、外部環境との関係における振る舞いにはほとんど無関係でありうる。だからこそ、微視的にはまったく異なる自動機械が蟻の粗い行動を模擬しうる。(Source: ch.3 p.52-53) ## 単純さの主張が意味すること - 「単純だ」という主張は、内部機構が単純だという主張ではなく、**行動の説明に必要な内部機構の記述が粗くて済む**という主張である。暗号算術問題で置かれた仮定は、算術操作に秒のオーダーの時間がかかること、操作が本質的に直列であること、瞬時に書き込める大容量記憶が無いこと、というごく粗いものにすぎない。脳に卓上計算機の性質を持つ部分系を組み込むような根本的改変ですら、この問題環境での行動の説明・予測に関わる仮定をわずかしか変えない。(Source: ch.3 p.54-55) - 行動が生得の特性ではなく学習された技術の関数である限り、行動についての知識は心理学的というより社会学的な性格を持つ。特定の社会環境で育った人間が実際に何を学ぶかを明らかにしているにすぎない。学習された戦略を、基礎的な生物学的システムの造り付けの性質と取り違えてはならない。(Source: ch.3 p.62) - 行動が真に単純で環境だけが複雑な状況において、人間の行動を支配する法則に大きな複雑性を求めるべきではない。(Source: ch.3 p.68) ## 直列性とコネクショニズム批判 記号水準の処理システムが基本的に直列であることを、証拠は圧倒的に支持する。感覚器(とくに目と耳)には明らかに多くの並列性があるが、刺激が認識された後は短期記憶の小さな容量が直列性を強制する。運動信号の処理にもある程度の並列性があるが、それも初期信号が短期記憶のボトルネックを通過した後である。 記号水準の直列性は、その一段下の神経実装が直列か並列かについて何も語らない(Simon は皮肉として、並列コネクショニストネットワークが標準的な von Neumann 構造の直列計算機上のプログラムで日常的に模擬されていることを挙げる)。脳で観測される並列的な神経活動の大部分は、記憶の受動的な保持にすぎず、能動的な過程はおおむね局在的かつ直列である可能性がある。複雑な思考と問題解決を並列コネクショニスト構造でも直列構造と同程度にモデル化できること、および同時遂行の実験的限界をコネクショニストモデルで表現できることを示すまで、感覚機能の外での大規模並列性の主張は疑わしいままである。(Source: ch.3 p.81-82) ## 生理学との二層関係 Simon は、心の組織を論じながら脳の構造にほとんど言及しなかったことを自覚的に指摘する。計算機の hardware と脳の「hardware」の違いが、計算機による多様な人間的思考の模擬を妨げてこなかったのは、両者がともに、思考に従事しているとき課題環境の形に自らを合わせようとする適応システムだからである。 ただし神経生理学が人間行動の説明に寄与しないという教説は馬鹿げている。神経生理学は適応システム Homo sapiens の**内部環境**の研究であり、適応の限界の説明を求めるべき先である。なぜ短期記憶は 7 チャンクに限られるのか、「チャンク」に対応する生理学的構造は何か、チャンクが固定される 8 秒のあいだ何が起きているのか。情報処理的説明と生理学的説明は、内部システムの限界という界面で接続する二つの層をなす。この関係は、生物学における量子力学的説明と生理学的説明の関係、あるいは計算機科学における固体物理とプログラムによる説明の関係と同じものになる。(Source: ch.3 p.83) ## 横断的知見 - Siklossy のプログラムが図のリスト構造表現と自然言語文の対から語彙と統語を獲得する事例(ch.3 p.78-79)は、[[記号接地問題]] が「記号列を現実世界の現象や概念に対応づける能力の獲得」として定式化する問題と同じ構造を持つ。Simon は 1996 年時点でこれを Searle の「中国語の部屋」への反駁として提示しており、記号接地は解けない原理的障壁ではなく、世界に開いた窓を持つ体系にとっては学習課題である、という立場を取っている。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]], [[@2022__Gihyo__ディープラーニングを支える技術 - Chapter 1 ディープラーニングと人工知能]]) - **記憶を環境に数える措置は、便宜から実質的な主張へ格上げされる**。第 3 章はこの措置を「二重に賭けを控える」ための方法論的な手加減として導入した。第 4 章はこれを主題として展開し、長期記憶は目と耳で感知される環境と**並行する第二の環境**として働き、問題解決者はそこを探索しその内容に応答すると述べる。この並行性は医療診断で観察可能な形をとる。探索は医師の医学知識という心的な図書館と患者の身体という 2 つの環境で交互に行われ、一方から得た情報が他方での次の探索を導く。単なる記述の便宜であれば、こうした交互探索という現象的な構造は出てこない。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]] p.53, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 4 Remembering and Learning - Memory as Environment for Thought]] p.87-88) - **内部と外部の境界は分析の目的で引かれる**。第 4 章は、人工システムの内部環境と外部環境の境界の引き方に一定の恣意性があると明言し、第 2 章で企業の費用関数を内部環境に含めることもできたのに、意思決定過程を生産技術から抽象して合理的計算の限界だけを内部の制約とした選択を例に挙げる。長期記憶を外部環境に置くのはこれと同じ手つきである。すなわち [[内部環境と外部環境]] の枠組みは固定した実在の切れ目ではなく、説明の目的に応じて引き直される線である。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 2 Economic Rationality - Adaptive Artifice]], [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 4 Remembering and Learning - Memory as Environment for Thought]] p.87) - **蟻の寓話の命題は、条件つきで維持される**。第 4 章の結論は第 3 章の命題を一字一句そのまま再掲するが、直後に条件を付す。すなわち「人間の環境」と呼ぶものの中に、書物と長期記憶に蓄えられ我々が自らの周りに紡ぐ**情報の繭(cocoon of information)**を含めるという条件である。内部環境(ハードウェア)は単純であり、複雑さは外部環境の豊かさ、すなわち感覚を通して捉えられる世界と長期記憶に蓄えられたその世界についての情報の双方から創発する。第 3 章の命題は無条件では成り立たず、環境の定義を拡張することで維持されている。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]] p.51-52, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 4 Remembering and Learning - Memory as Environment for Thought]] p.109-110) - **記憶が環境なら、学習は環境の変化である**。第 4 章は、思考の外部環境が現実世界も長期記憶も絶えず変化すること、記憶における変化が適応的であることを出発点に、学習を「環境への適応能力に多かれ少なかれ恒久的な変化を生むシステムのあらゆる変化」と定義する。そして認知系が真に単純なら、その単純さは変化の背後の不変項を見出すことでのみ明らかになるとする。第 3 章が不変項として据えたのは記憶パラメータと一般的な探索・制御過程の 2 種だったが、第 4 章はそこに**学習と発見の機構**を第 3 の不変項として加え、3 種の不変項による説明として認知の科学を定式化し直す。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]] p.83, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 4 Remembering and Learning - Memory as Environment for Thought]] p.100, p.110) - **思考の環境は頭蓋の外へ連続的に広がる**。第 3 章は Alfred Marshall の *Principles of Economics* が本文を言葉で、図を脚注に、代数を数学付録に置き、読者が場面ごとに好みの表現を選べるようにした例を挙げ、外部化された表現が思考の経路を変えることを示した。第 4 章はこれを設計の実務まで押し広げる。10 年で獲得できないほど知識が膨れた領域では書籍その他の外部参照補助への依存が増え、建築では生成しつつある設計そのものがスケッチ・平面図・設備図という外部の記憶構造に体現される。各段階でその部分的な設計が、次に何に注意すべきかを設計者に示唆する主要な刺激となる。長期記憶が第二の環境なら、外部の文書は第三の環境であり、両者は連続している。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]] p.74-75, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 4 Remembering and Learning - Memory as Environment for Thought]] p.92) - **領域の多重性は複雑さに寄与しない**。第 3 章は異質な課題群(暗号算術・概念獲得・機械的言語学習・視覚記憶・自然言語処理)を横断しても同じ少数のパラメータしか現れないことを示した。第 4 章はこれを記憶の側から言い直す。人間は多くの領域の知識を頭に持ち歩き、しばしばいくつかの領域で熟達しているが、領域が別個である限り、その多重性はどれか 1 つの領域で働くことの複雑さに何も寄与しない。図書館でギリシャ語の教科書を学ぶことは、その図書館にラテン語・サンスクリット語・古典中国語の本があるからといって難しくも易しくもならない。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]], [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 4 Remembering and Learning - Memory as Environment for Thought]] p.99) - **物理機構を括弧に入れる Simon の戦略は、48 年前にウィーナーが試みたボトムアップな導出を意図的に反転させている**。ウィーナーは『サイバネティクス』第5章で、計算機のリレーと神経系のニューロン(悉無律に従う二状態素子)を構造的に同一視し、記録コストを最小化する情報理論的議論から二進法・二分法(dichotomy)を導いて、物理的機構の側から論理的性質を積み上げようとする。これに対し Simon(1996)は本ページで見たとおり「計算機の hardware と脳の hardware の違いが人間的思考の模擬を妨げてこなかった」と述べ、情報処理的説明と生理学的説明を「適応の限界」という界面だけで接続する二層関係として切り分ける(本ページ「生理学との二層関係」節)。同じ計算機・神経系というテーマに対して、ウィーナーは物理機構から情報処理的性質をボトムアップに導こうとし、Simon はその物理機構をトップダウンに括弧へ入れる、という対照的な戦略の違いが、2 つのソースを並べて初めて見える。詳細は [[計算機と神経系のアナロジー]] に集約した。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]] p.83, [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 5 Computing Machines and the Nervous System]] ch.5 pp.118-121) ## 未解決の問い - 本章の「行動の複雑さは環境の複雑さの反映である」という仮説は、第 1 章の人工物についての議論の系として導かれたと Simon 自身が述べている。第 1 章の定式化と本章の心理学的定式化のあいだで、主張の強さはどこまで一致するか。 - コネクショニズム批判は 1996 年時点の評価である。深層学習以降の並列モデルが、本章の言う「同時遂行の実験的限界の表現」という条件をどう扱っているか。 - 「情報の繭を環境に含める」という第 4 章の条件づけは、単純さの命題の反証可能性を弱めていないか。環境の側にいくらでも複雑さを繰り入れられるなら、「行動システムとしての人間は単純である」は経験的主張ではなく規約になりうる。Simon はこの反論を本章では扱っていない。 - 長期記憶を外部環境に置く措置と、第 3 章が生理学を「内部環境の研究」と位置づけた措置は、内部環境をハードウェアの側へ二重に切り詰めている。この切り詰めのあと、内部環境に残るのは記憶パラメータと基本情報過程だけになるが、それは説明の単純さの成果なのか、説明対象を減らしただけなのか。 ## 関連 - 章: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 3 The Psychology of Thinking - Embedding Artifice in Nature]] / [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 4 Remembering and Learning - Memory as Environment for Thought]] - 概念: [[チャンクと記憶の制約]] / [[ヒューリスティック探索]] / [[記号接地問題]] / [[問題の理解と表現]] / [[計算による科学的発見]] / [[内部環境と外部環境]] / [[計算機と神経系のアナロジー]] - 実体: [[Herbert A. Simon]] / [[EPAM]] / [[UNDERSTAND]] / [[BACON]] / [[ノーバート・ウィーナー]] - 書籍: [[The Sciences of the Artificial]] ## 出典 - Herbert A. Simon, *The Sciences of the Artificial*, third edition, The MIT Press, 1996, Chapter 3, pp. 51-84. - Herbert A. Simon, *The Sciences of the Artificial*, third edition, The MIT Press, 1996, Chapter 4, pp. 85-110.