# 市場と組織 ## 定義 市場(market)と組織(organization)は、社会が経済活動を調整するための人工的な仕組みであり、サイモンはこの二つを対立物ではなく、限定合理性への折り合いという同一の問題に対する二種類の解法として扱う。どちらも決定を局所的な情報にもとづいて下せる主体へ割り当てることで、情報と計算の負荷を分散させる。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 2 Economic Rationality - Adaptive Artifice]] ch.2 pp.30-31, pp.41-45) 社会が持つ調整機構は市場だけではない。統計にもとづく中央計画(道路計画のように統計的に安定した行動パターンを利用するもの)、交渉と取引(賃金協定や議会多数派の形成)、上下に走る公式の権限線と通信網を持つ階層組織(企業・政府・教育)、そして各種の投票手続きが並ぶ。どの社会にもこれら全てが見つかり、その配合と適用が国や文化によって大きく異なるにすぎない。(Source: ch.2 pp.30-31) ## 組織と市場の経済 資本主義社会は調整の大半を市場に、社会主義社会は階層組織と計画に依存する、という記述は粗い単純化である。どちらの体制の民主的社会でも投票が使われることを無視し、現代の「市場」社会における大組織の重要性を無視するからである。市場経済の典型とされるアメリカ経済でも、人間の経済活動のおよそ 8 割は組織の内部環境で起きており、市場という組織間の外部環境で起きているのではない。誤解を避けるには、こうした社会を**組織と市場の経済(organization-&-market economy)**と呼ぶのが適切である。説明を与えるには、市場と同じだけ組織に注意を払わねばならない。(Source: ch.2 pp.31-32) ## 市場が優れている点と、その根拠の置きどころ - 均衡が生じるために満たすべき条件は比較的弱い。超過供給に対して価格が下がり、価格が下がるか在庫が積み上がると生産量が減ればよい。この性質を持つ動的システムはいくらでも構成でき、広い条件範囲で均衡を求めて安定に振動する。(Source: ch.2 p.32) - 実験市場では、売ってはならない最低価格しか知らない「愚かな」売り手と、買ってはならない最高価格しか知らない「愚かな」買い手であっても、古典的な意味で合理的な主体の市場とほぼ同じ速さで均衡へ向かった。(Source: ch.2 p.32) - パレート最適性の定理は完全競争と主体による利潤・効用の最大化という強い仮定を要し、満足化する主体からなる市場はこの条件を満たさない。堅い経験的証拠がある市場の性質は市場清算だけである。「驚くべきは市場が最適化することではなく(実際しない)、しばしば清算することのほうだ」。(Source: ch.2 pp.32-33) - したがって市場が推奨に値する根拠は最適性ではなく、計算負荷の回避に置かれる。いかに大型の計算機で支えても中央計画機構が担いきれない計算の負担を避け、手元の局所的情報だけで決められる主体へ決定を割り当てることで、情報と計算を節約する。Hayek による市場機構の擁護もまさに、内部環境の限界すなわち人間の計算能力の限界に立脚していた。(Source: ch.2 pp.34-35) ## 計画者なき秩序 自然システムが自己調整することには慣れているのに、その直観は人間社会の人工システムには持ち越されない。中世都市が無数の個人の決定に応じて「ただ育った」見事に模様づけられたシステムだと聞かされた建築学生は、驚愕と不信を示した。彼らにとって模様は、それを構想した計画者の頭と実装した手を含意していた。「設計者なくして設計なし」という反応である。(Source: ch.2 pp.33-34) 同種の反応は、第一次世界大戦後に東欧の社会主義経済を構築しようとしたマルクス主義原理主義者にも現れた。市場と価格が社会主義経済で建設的な役割を果たしうると理解するのに約 30 年を要した。1990 年前後の東欧経済の崩壊は、中央計画への素朴な信仰を市場への同じく素朴な信仰に置き換えたが、崩壊は現代経済が円滑に働く市場なしには機能しえないことを教え、崩壊後の低調な成績は有効な組織なしにも機能しえないことを教えた。(Source: ch.2 p.34) ## 組織が市場に優る条件 - **取引費用(新制度派経済学の説明)**: 一定種の市場契約が生む取引費用は、売買契約を雇用関係に置き換えることで回避・削減できる。他方で組織は、従業員に個人的利害でなく組織目標に従わせるための報酬と、そうしているかの監督に費用を払う。サイモンはこの説明が話の要点、とりわけ組織内部での意思決定の分権化の機会を取り落としていると見る。(Source: ch.2 pp.40-41) - **分権化**: 組織はすべての重要な決定を中央で下す高度に集権的な構造ではない。そのように運営すれば人間の手続き的合理性の限界を超え、階層的権限から得られる利点の多くを失う。一つの決定は多数の事実と選択基準に左右されるため、その一部の前提を上位者が指定しても完全な集権にはならない。事実は最も技能と情報のある場所で確定し、「集約点」へ伝えて統合できる。決定は多数のサブルーチンが各々の局所的情報源に依拠して実行される大きな計算機プログラムのようなもので、企業組織は市場と同様に**巨大な分散計算機**である。(Source: ch.2 p.41) - **外部性**: 価格機構は活動のすべての投入と産出が市場価格の対象になって初めて宣伝どおりに働く。煤煙を出す工場のように補償されない帰結があると、社会的費用より安く値づけられた製品が過剰に使われる。課税による内部化は税額の決定という問題を残し、費用便益分析が与えるのは行政的な答えであって自動的な市場機構の答えではない。同種の問題ゆえに大企業も事業部門間の取引を完全な内部市場に委ねきらず、内部価格は競争価格ではなく管理価格・交渉価格になる。(Source: ch.2 p.42) - **不確実性の吸収**: 生産部門と販売部門が翌年の需要を独立に見積もるのは筋が通らない。不確実性に直面したとき、合意された仮定と仕様による標準化と調整のほうが予測より有効でありうる。不確実性が個別市場についての多数の事実にあるなら分権的な価格づけが魅力的だが、組織の多くの部分を同じ方向に動かす大きな事象にあるなら、将来についての仮定を中央で立てさせるほうが有利になりうる。とりわけ同一組織内の他単位の行動についての期待が絡む不確実性は、市場に委ねればゲーム理論や合理的期待で述べた合理性のジレンマに直行するため、管理的調整による吸収が最も有効な道でありうる。(Source: ch.2 pp.42-43) ## 組織を成り立たせる同一化と従順性 - 組織への忠誠は**同一化(identification)**と呼ぶほうが適切で、動機づけの成分と認知の成分の双方を持つ。動機づけの面では集団目標への愛着と、個人的目標をいくらか犠牲にしてもそのために働こうとする姿勢が生じる(集団目標が個人目標になる)。認知の面では、成員は組織外の人々とは異なる情報・概念・準拠枠に囲まれ、限定合理性ゆえに自組織の視点と利害から単純化された世界像を作る。準拠枠は単位ごと・階層ごとに異なり、同じ従業員が時に部門、時に課、時に会社全体と同一化する。(Source: ch.2 pp.43-44) - 同一化が引き出す上乗せの努力は組織の有効性の主要かつ不可欠な源泉であり、経済活動を市場でなく組織で行う主たる理由である。従業員が利己的に報われると感じ、かつ上司が強制できる行動だけを引き出す組織は生き延びられない。(Source: ch.2 p.44) - 近親者以外への利他性は適応度の増大という基本前提と矛盾する、という新ダーウィン主義の主張をサイモンは誤りだとする。限定合理性ゆえに、社会集団からの情報と助言を受け入れる**従順(docile)**な個体は、自力で生成できる以上に妥当な情報を得られ、適応度で大きく優位に立つ。従順な人は熱いストーブについて触って学ぶ必要がない。この従順性は「課税」されうる、すなわち個人には利さないが集団に利する行動を取らせることに使えるが、課税が従順性の利点を打ち消すほど重くない限り、利他的な個体のほうが適応度で優る。(Source: ch.2 pp.44-45) サイモン自身による現代社会での市場と組織の役割のまとめは次の三点である。(1) 組織は、相互依存する活動の集まりを、個人が互いを先読みする必要をなくすかたちで協調して遂行するのが最善である場面にその居場所を見出す。(2) 組織を成り立たせ、個人の努力を個人の報酬に紐づけられないときに生じる公共財の問題を緩和する動機づけは、組織への忠誠と同一化が与える。(3) 組織でも市場でも、人間の合理性の限界は、意思決定の各段階が個人の手元で得られる情報に主として依拠できるよう決定を配置することで対処される。(Source: ch.2 p.45) ## 横断的知見 - **第 2 章は組織を説明の対象として扱い、第 6 章は設計の対象として扱う**。第 2 章は「設計者なくして設計なし」という建築学生の直観を退け、中世都市のように計画者なしに秩序が育つことを強調し、同時に東欧経済の崩壊とその後の低調さから、現代経済は円滑に働く市場なしにも有効な組織なしにも機能しえないと結論した。第 6 章は同じ主題を規範側から立て、組織(企業・政府機関・自発的結社)を形づくることが社会の最も重要な設計課題の一つであり、組織の設計は社会設計のカリキュラムで緊急の注意を要すると述べる。両章は矛盾せず、自己組織化する秩序と意図的な組織設計の双方が要るという同じ結論に収まる。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 2 Economic Rationality - Adaptive Artifice]] ch.2 pp.33-34, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] ch.6 pp.154-156) - **組織を軽んじる修辞を、両章がそれぞれ別の相手に対して退けている**。第 2 章はアメリカ経済でも人間の経済活動のおよそ 8 割が組織の内部環境で起きていることを挙げて、市場中心の経済理論の偏りを正した。第 6 章は「リバタリアンの修辞に反して我々は孤立した単子ではない」と述べ、組織が課す規則が自由を制限する一方で、個人の努力では想像すら及ばない目標と自由を得る機会を与えることを指摘する。前者は理論の是正、後者は世論への反論という違いはあるが、組織の実在的な重みを回復させるという狙いは共通する。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 2 Economic Rationality - Adaptive Artifice]] ch.2 pp.31-32, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] ch.6 pp.154-156) - **成員が受動的でないという同じ前提が、第 2 章では組織を成り立たせる条件、第 6 章では計画を挫く要因として働く**。第 2 章は、従業員が利己的に報われると感じ、かつ上司が強制できる行動だけを引き出す組織は生き延びられず、同一化が引き出す上乗せの努力こそが組織の有効性の源泉だと論じた。第 6 章は、計画が対象とする組織や社会の成員が受動的な道具ではなく、自らの目標のために系を使おうとする設計者でもあると述べ、Chester I. Barnard に由来する誘因と貢献の均衡による扱いと、計画者と対象とのゲームという表現の二つを挙げる。同じ能動性が、一方では組織の存立条件、他方では社会計画の障害として現れる。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 2 Economic Rationality - Adaptive Artifice]] ch.2 pp.43-45, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] ch.6 pp.153-154) ## 未解決の問い - 組織と市場の境界は何が決めるのか。フランチャイズや単一供給元のベンダーのような雑種が示すとおり境界はしばしば可動的で、両者の利点がほぼ拮抗している場面が多いと読める。境界の位置を予測する一般則は本章では与えられていない。(Source: ch.2 p.40) - 階層については、理想的競争市場について証明できる資源配分の最適性定理のいずれも証明できない。だがそれは現実の組織が現実の市場より非効率に働くことを意味しない。では現実の組織と現実の市場の効率をどう比較するのか。(Source: ch.2 pp.41-42) - 不安定化する期待が貨幣的な超インフレーションと景気循環で重要な役割を果たすことには経済学に広い合意があるが、反応の連鎖で誰の期待が最初に動くのか、それに何をすべきかについては合意が乏しい。(Source: ch.2 p.36) ## 関連 - 概念: [[限定合理性]] / [[満足化]] / [[トレードオフ意思決定]] / [[社会計画]] / [[注意の希少性]] - 実体: [[Herbert A. Simon]] / [[The Sciences of the Artificial]] - ソース: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 2 Economic Rationality - Adaptive Artifice]] / [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 6 Social Planning - Designing the Evolving Artifact]] ## 出典 - Herbert A. Simon, *The Sciences of the Artificial*, third edition, The MIT Press, 1996, Chapter 2 "Economic Rationality: Adaptive Artifice", pp. 25-50. - Herbert A. Simon, 同書 Chapter 6 "Social Planning: Designing the Evolving Artifact", pp. 139-167.