# 人工物の科学
## 定義
人工物の科学(sciences of the artificial)とは、人間の目的と自然法則の双方が体現された対象と現象についての知識の体系である。自然科学(natural science)が、世界にあるある種の対象ないし現象について、それらが持つ特性と性質、互いにどうふるまい相互作用するかを扱う知識であるのに対し、人工物の科学は、自然法則を免除されていないと同時に人間の目標と目的に適応しているという二重の性格を持つ対象を扱う。この二つの異質な成分を関係づける手段を科学が持ちうるか、その手段の性格と、経済学・心理学・設計論への含意が問題になる。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 1 Understanding the Natural and Artificial Worlds]])
## 人工物を区別する 4 つの指標
人工物(artifact)と自然物を分ける指標は 4 つあり、これが人工物の科学の境界を定める。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 1 Understanding the Natural and Artificial Worlds]] "The Artificial" p.5)
1. 人工物は人間によって合成される(常に、あるいは通常、十分な予見を伴うとは限らない)。
2. 人工物は自然物の外観を模倣しつつ、一つないし多くの点で自然物の実質を欠きうる。
3. 人工物は機能・目標・適応の観点から特徴づけられる。
4. 人工物は、特に設計されているときには、記述法(descriptive)だけでなく命令法(imperative)によっても論じられる。
## 自然科学との関係
- 人工物は自然から離れて存在するのではない。自然法則を無視ないし侵犯する免除を受けていない。同時に人間の目標と目的に適応しており、飛びたい、よく食べたいという欲求を満たすためにそうなっている。目的が変われば人工物も変わり、逆もまた然りである。(Source: ch.1 p.3)
- 「生物学的」を「自然」と同一視できない。森は自然の現象であっても農場はそうではなく、食料を依存するトウモロコシや牛は人間の工夫の産物である。耕された畑はアスファルトの街路と同程度に自然の一部であり、同程度にそうでない。(Source: ch.1 p.3)
- 自然科学の中心課題は「驚異を平凡にすること」、すなわち複雑性が正しく見れば単純性の仮面にすぎないと示し、見かけの混沌に隠れたパターンを見出すことにある。人工物の科学もこの課題を共有するが、目標と「べき(ought)」を導入する点で規範的なものと記述的なものの二分法を持ち込む。自然科学は規範的なものを排除して「物事がいかにあるか」だけを扱う道を見出したが、人工現象へ移るときにこの排除を維持できるかが問われる。(Source: ch.1 pp.1-2, p.5)
- サイモン自身は「べき」を「である」に還元できないという純粋な経験主義者の立場を保持する。この立場は、自然的ないし人工的な目標追求システムを、その目標に与することなく現象として扱うことと完全に両立する。(Source: ch.1 p.5 脚注3)
- 「artificial」という語には侮蔑的な響きがあるため、本書では可能なかぎり中立に「自然に対して人間が作った」という意味で用いる。合成(synthesis)を導入すると工学の領域に入る。工学は合成に、科学は分析(analysis)に関わり、技術者、より一般に設計者は「物事がいかにあるべきか」に関心を持つ。したがって人工物の科学は工学の科学に近縁だが、現在「工学科学(engineering science)」の名で通っているものとは大きく異なる。(Source: ch.1 pp.3-5)
## 対象の広がり
- われわれが今日住む世界は自然の世界というより人工的な世界である。環境のほとんどすべての要素が人為(artifice)の痕跡を示す。とりわけホワイトカラーにとって環境の重要部分は「記号」と呼ばれる人工物の列からなり、その列を支配する法則も、記号を発し受け取る機会を規定するものも、内容の決定要因も、すべて集合的な人為の帰結である。(Source: ch.1 pp.2-3)
- 記号システム(物理記号システム)はほとんど人工物の典型であり、環境への適応性がその存在理由のすべてである。計算機と人間の心・脳がその重要な成員であり、本書はとりわけ人間版に主たる関心を置く。(Source: ch.1 pp.21-22)
- 人工物の科学の対象は経験的に研究できる。計算機のふるまいは組織の性質でほぼ決まるため、ウサギやシマリスを研究するように経験的に研究でき、タイムシェアリングシステムの開発は「作ってふるまいを見る」以外に道がなかった実例である。(Source: ch.1 pp.19-20)
## 横断的知見
- **第 5 章は、人工物の科学の中核が設計の科学(science of design)であると明言する**。人工物の特異な性質は、その内なる自然法則と外なる自然法則のあいだの薄いインタフェースの上にある。人工の世界はまさにこのインタフェースに中心を置き、内部環境を外部環境へ適応させることで目標を達成することにかかわる以上、人工物に関心を持つ者の正しい研究対象は、その適応がどのようにもたらされるかであり、その中心にあるのが設計の過程そのものである。第 1 章が 4 つの指標と自然科学との対比で境界づけるにとどめた領域が、ここで固有の研究対象を与えられる。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 1 Understanding the Natural and Artificial Worlds]] ch.1 p.5, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] ch.5 p.113)
- **第 5 章は、人工現象の科学が「解消して消えてしまう危険に常にさらされている」という難点を正面から引き受ける**。境界をなす諸科学、すなわち手段と課題環境を支配する科学のほかに何を研究するのか、という問いがそれである。答えは、境界の両側ではなく境界そのもの、内部環境の外部環境への適応の様式を研究対象に据えることであった。第 1 章が「インタフェースの相対的単純さを抽象と一般性の主要な源泉とする」と展望した点が、ここで領域の存立条件として言い直されている。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 1 Understanding the Natural and Artificial Worlds]] ch.1 pp.6-7, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] ch.5 p.113)
- **人工物が記述法だけでなく命令法(imperative)でも論じられるという第 1 章の第 4 指標に、第 5 章が論理上の裏づけを与える**。第 1 章はこの指標を挙げるだけだったが、第 5 章は命令の特別な論理が不要であることを示す。可能世界の集合を扱い、目標の制約と最大化の要件を新しい「自然法則」として環境条件へ付け加えれば、通常の記述論理で処理できるからである。「べき」を「である」に還元できないという第 1 章の立場を保ちながら、規範を含む人工物をなお経験科学の対象にできる理由が、ここで具体的に示されている。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 1 Understanding the Natural and Artificial Worlds]] ch.1 p.5, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] ch.5 pp.114-118)
- **第 1 章が「現在『工学科学』の名で通っているものとは大きく異なる」と述べた含みが、第 5 章の教育史の記述で説明される**。第 5 章によれば、専門職の学校が学問的な体面を求めた結果、工学の学校は物理学と数学の学校に、医学の学校は生物科学の学校に、経営の学校は有限数学の学校になった。「工学科学」の名で通っていたのは、専門職実務に最も関わりが深いと考えられた数学と自然科学の主題を選んで強調したものであり、分析と区別された意味での設計が教えられ続けたことは意味しない。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 1 Understanding the Natural and Artificial Worlds]] ch.1 pp.3-5, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] ch.5 pp.111-112)
- **対象の広がりが第 5 章でさらに拡張される**。第 1 章は記号システム、計算機、人間の心・脳を人工物の典型として挙げた。第 5 章は音楽を「最も古い人工物の科学の一つ」でありギリシャ人もそう認めていたとし、作曲を設計の問題と見れば評価・代替案の探索・表現という他の設計問題と同じ課題に出会うと述べる。人工物について述べたことは音楽の作曲や享受にもそのまま当てはまる、という主張によって、対象の外延は工学的な人工物から芸術の制作へ広がっている。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 1 Understanding the Natural and Artificial Worlds]] ch.1 pp.21-22, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] ch.5 pp.135-136)
- **Simon(1996)と [[Hans Poser]](1998)は、「科学=記述(is)、工学=規範(ought)」という直感を共有しながら、まったく異なる道具立てで根拠づける。** 第 1 章は自然物と人工物を分ける第 4 の指標として、人工物が記述法だけでなく命令法(imperative)によっても論じられる点を挙げ、第 5 章はこれを可能世界の集合を扱う記述論理への還元という論理学的な操作で裏づけた。Poser は逆に、人工物という存在論的カテゴリそのもの(クローン羊・臓器移植・遺伝子変異植物が「人工物」かという問い)を疑わしいとして退け、代わりに技術的規則が真理値を持たない(真でも偽でもない)という認識論的な非対称性から出発して同じ結論——工学は科学の劣化版でも単純な応用でもない——に至る。Simon が命令論理の還元という論理学的経路を、Poser が規則の真理値欠如という認識論的経路を通る対比は、詳細を [[技術的規則]] に譲る。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 1 Understanding the Natural and Artificial Worlds]] ch.1 p.5, [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] ch.5 pp.114-118, [[@1998__PhilTech__On Structural Differences between Science and Engineering]] §3, §8)
- **[[Salvatore T. March]]・[[Gerald F. Smith]](1995)は、Simon の design science / natural science の区別を明示的に借用しつつ([65]として引用)、第 5 章の「設計の科学(science of design)」という抽象的な議論を、IT 研究向けの具体的な運用フレームワークへ翻訳する。** 第 5 章は設計科学の中核を「内部環境の外部環境への適応」というインタフェース研究として一般的に位置づけたが、March & Smith はこれを援用せず、代わりに研究出力(constructs・models・methods・instantiations)×研究活動(build・evaluate・theorize・justify)という独自の 4×4 座標系を新たに導入した。すなわち Simon から継承されたのは区分の名称と正当化のみであり、具体的な運用フレームワークは分野固有に独自設計されている。この具体化の系譜は [[デザインサイエンス研究]] に譲る。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] ch.5 p.113, [[@1995__Decision Support Systems__Design and Natural Science Research on Information Technology]] §2-§3)
## 未解決の問い
- 人工物の科学を専門職教育の課程として実際に立て直せるか。第 5 章は 7 項目のカリキュラムを提案するが、人工の科学と自然科学の双方を高い知的水準で教育する学校を考案する問題そのものは、組織設計という未解決の設計問題として残されている。(Source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] ch.5 pp.113, 134)
- [[Herbert A. Simon]] の記述(第 2 版・第 3 版序文由来)は、人工物の経験的内容が偶然性(contingency)から生じると整理しているが、第 1 章の本文にはこの語は現れない。第 1 章の「適応の限界」の議論と序文の偶然性の議論がどう接続するか、他章の取り込みで確認したい。
- 人工物の科学が扱う「組織の性質だけがふるまいを決める」という抽象は、どの程度まで一般化できるか。第 1 章は脚注で第 8 章「The Architecture of Complexity」を参照し、内部環境と外部環境の分離可能性がすべての大規模で複雑なシステムに程度の差はあれ期待できると述べるにとどまる。
## 関連
- 概念: [[内部環境と外部環境]] / [[設計の科学]] / [[技術的規則]] / [[デザインサイエンス研究]](IT 研究方法論への具体化)
- 章・source: [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 1 Understanding the Natural and Artificial Worlds]] / [[@1996__MITPress__The Sciences of the Artificial - Chapter 5 The Science of Design - Creating the Artificial]] / [[@1998__PhilTech__On Structural Differences between Science and Engineering]] / [[@1995__Decision Support Systems__Design and Natural Science Research on Information Technology]]
- 実体: [[Herbert A. Simon]] / [[The Sciences of the Artificial]] / [[Hans Poser]] / [[Salvatore T. March]] / [[Gerald F. Smith]]
## 出典
- Herbert A. Simon, *The Sciences of the Artificial*, third edition, The MIT Press, 1996, Chapter 1 "Understanding the Natural and the Artificial Worlds", pp. 1-24.
- Herbert A. Simon, 同書 Chapter 5 "The Science of Design: Creating the Artificial", pp. 111-138.
- Hans Poser, "On Structural Differences between Science and Engineering," *Society for Philosophy and Technology Quarterly Electronic Journal*, Vol. 4, No. 2, Winter 1998, pp. 81-93.
- Salvatore T. March and Gerald F. Smith, "Design and natural science research on information technology," *Decision Support Systems*, Vol. 15, 1995, pp. 251-266.