# エルゴード理論
## 定義
**エルゴード理論(ergodic theory)**とは、力学系における**時間平均**(ある量を一つの系の軌道に沿って時間方向に平均したもの)と**位相平均**(系のアンサンブル全体を位相空間上の測度で平均したもの、空間平均・アンサンブル平均とも呼ばれる)が一致する条件を扱う数学の理論である。出発点は、単一の系ではなく初期条件の分布——系のアンサンブル——を扱うという [[Willard Gibbs]] の統計力学の視点であり、この視点が暗黙に要求する「確率0の事象の可算個の和」という手続きに厳密な基礎を与えたのが [[Henri Lebesgue]] の測度論である。系が**エルゴード的(ergodic、metrically transitive)**であるとは、その測度を保存する変換(群)が、測度0または測度1以外の不変集合を持たないことをいう。この条件のもとで、平均エルゴード定理(Koopman–von Neumann、$L^2$ 級の関数について平均収束)とほとんど至るところのエルゴード定理(Birkhoff、$L^1$ 級の関数についてほとんど至るところ収束)は、時間平均が位相平均へ収束することを示す。エルゴード的でない変換群も、von Neumann の結果により有限または可算個のエルゴード成分に分解できるため、測度保存変換一般の理論はエルゴード変換の理論に還元される。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 2 Groups and Statistical Mechanics]] ch.2 pp.45-56)
Gibbs 自身が唱えた**エルゴード仮説**(不変量を除いた位相空間内でほとんど全ての軌道があらゆる点を通過するという主張)は、いかなる微分可能な曲線も面積を覆うことはできないという理由で Plancherel らにより誤りと示され、「軌道が任意の点にいくらでも近づく」という**準エルゴード仮説**に置き換えられた。ただしこの弱い仮説は、系がその近傍にどれだけの時間を費やすかについては何も語らない点で、Gibbs が導きたかった結論を正当化するには不十分である。(Source: 同上 ch.2 p.49)
## 横断的知見
- **エルゴード理論を支える「変換群・その不変量」という数学的枠組みは、60年後の深層学習における不変性・同変性の議論と同じ語彙を共有する**。[[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 2 Groups and Statistical Mechanics]] は、変換群 $T$ のもとで $f(Tx) = \alpha(T) f(x)$ を満たす関数を「指標(character)」=群の線形不変量と呼び、群の構造のみから定まる Haar 測度を「距離的不変量」と呼ぶ。同じ「変換 $g$」「不変量」という定式化は [[不変性と同変性]] が扱う $\phi(x) = \phi(g(x))$(不変性)・$\pi(g)(\phi(x)) = \phi(g(x))$(同変性)という定式化と数学的に同型であり、対称群という具体的な群の上での不変性・同変性を論じる点でも共通する。両ソースの違いは適用領域にある。Wiener は連続群(並進群・回転群)上の測度・平均という**統計力学的な不変量**(時間平均と空間平均の一致)を扱うのに対し、[[不変性と同変性]] のソースは置換群・並進群上の**表現学習における不変量**(CNN・RNN・Transformer のパラメータ共有)を扱う。「変換群の不変量」という抽象概念が物理学から機械学習まで応用領域を変えながら同じ数学的骨格を保ち続けていることが、この2ソースの突き合わせで見える。(Source: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 2 Groups and Statistical Mechanics]] ch.2 pp.50-54, [[不変性と同変性]])
## 未解決の問い
- Gibbs のエルゴード仮説から準エルゴード仮説への後退、さらに Koopman–von Neumann・Birkhoff の厳密なエルゴード定理への到達という経緯は、本章で「正しいが証明できない直観」から「正しく証明された定理」への移行としてのみ描かれる。ウィーナー自身がこの移行を [[サイバネティクス]] の他の主題(フィードバック・情報理論)とどう接続するかは、続く章(時系列の統計力学)を読まないと分からない。
- 変換群の指標(character)とフーリエ変換の関係(式2.06-2.13)が示唆する「離散群↔連続群の双対性」は、本章内では並進群・回転群の例にとどまる。この双対性がどこまで一般の群に拡張されるかは、本章が参照する脚注文献(Wiener 自身の *The Fourier Integral*)を読まないと確認できない。
- [[不変性と同変性]] との横断的知見で指摘した「変換群の不変量」という共通の数学的骨格が、両ソースの間で独立に発見されたのか、それとも後者が(直接・間接に)エルゴード理論の伝統を継承しているのかは、両ソースの記述だけからは判定できない。
## 関連
- 概念: [[不変性と同変性]](変換群の不変量・同変量という共通の数学的枠組み)
- 実体: [[Willard Gibbs]](エルゴード仮説の提唱者) / [[Henri Lebesgue]](測度論による基礎づけ) / [[ノーバート・ウィーナー]]
- ソース: [[@1961__MITPress__Cybernetics - Chapter 2 Groups and Statistical Mechanics]]
## 出典
- Norbert Wiener, *Cybernetics: or Control and Communication in the Animal and the Machine*, 2nd ed., The MIT Press, 1961, Chapter 2(印字 pp.45–56)。