# エピステーメー ## 定義 エピステーメー(epistêmê、しばしば「知識」または(厳密な文脈では)「学問的知識」と訳される)は、古代ギリシア哲学における知の一形態を指す語であり、その対象・性質は著者によって大きく揺れ動く。アリストテレスが『ニコマコス倫理学』第6巻で与える厳密な定義では、必然的に(=それ以外ではありえない仕方で)存在する対象についての、第一原理から出発する論証知(demonstration)である(1139b15–30、Source: [[@2003__SEP__Episteme and Techne]] §3、[[@1906__StandardEbooks__Nicomachean Ethics - Book VI Intellectual Virtues]] Book VI §III)。ただし現代の「科学(experimentation を含む)」とは異なり、実験による確証を含意しない。プラトンにおいては形相(forms)を対象とする純粋な理論知として現れ(『国家』477b)、クセノポンにおいてはテクネー(technê)とほぼ無差別に用いられる、「やり方を知る」ことを含意する広い語であった。 ## 横断的知見 - **語の日本語訳の一致と含意のずれ**: [[@1906__StandardEbooks__Nicomachean Ethics - Book VI Intellectual Virtues]](F. H. Peters 英訳からの重訳)は epistêmê を一貫して「学問」と訳し、「不変の対象を認識する『学問的部分』」(§I)・「学問(§III)」という形で導入する。[[@2003__SEP__Episteme and Techne]] も同じ 1139b15–30 の議論を「対象が必然的・永遠であるがゆえの論証知」として同一に要約しており、両ソースの理解は一致する。しかし SEP はこの厳密な定義がアリストテレスの著作全体を通じて一貫しないことを指摘する点で、NE Book VI 単独の精読(既存 wiki の一次資料 ingest)では見えなかった知見を追加する: 『自然学』(194a20)は医術を epistêmê と同じ語で呼び、『形而上学』第II巻(995a15–20)・第VI巻(1027a20)は自然についての epistêmê が数学的厳密性を持ちえないことを認め、「大部分の場合に成り立つ」知という**第二義の epistêmê** を許容する(Source: [[@2003__SEP__Episteme and Techne]] §3)。 - **プラトンにおける理論への傾斜という、NE Book VI からは見えない前史**: NE Book VI はアリストテレスの厳密な区別(episteme=必然的対象/technê・phronesis=偶然的対象)を出発点として提示するのみで、この区別がどこから来たかを論じない。SEP はこれがプラトン『テアイテトス』『国家』第V〜VII巻における「知識の対象が形相へと純化していく」過程(477b、509d–511e)の帰結であることを示し、アリストテレスの厳密な episteme 概念が無からではなくプラトンの形相論への応答として成立したことを補う(Source: [[@2003__SEP__Episteme and Techne]] §2-3)。 ## 未解決の問い - アリストテレスの「第二義の episteme」(自然についての、大部分の場合に成り立つ知)と、[[フロネシス(実践知)]] や [[エンペイリア(経験知)]] との境界はどこにあるか。SEP 自身「この問いは本項目の範囲を超える」として判断を保留している(§3)。 - [[What Engineers Know and How They Know It]](Vincenti 1990)・[[On Structural Differences between Science and Engineering]](Poser 1998)が論じる「工学知識は科学の単純な応用ではない」という20世紀の論争は、アリストテレスの episteme(必然的知)/technê(偶然的対象の制作知)の区別とどう対応するか。Vincenti・Poser はいずれもこの古代の語彙を参照しておらず、突き合わせは今後の課題。 - ストア派における episteme(揺るがぬ把握、Stobaeus 2.73,16–74,3)と、アリストテレスの厳密な episteme(必然的対象の論証知)は同じ確実性の基準を共有するか、それとも異なる正当化構造を持つか。