[湯川秀樹「『バートランド・ラッセル放談録』について」](https://russell-j.com/YUKAWA2.HTM) > 「哲学とは、正確な知識がまだ得られない事柄についての、思弁から成るものである、」というのです。それは私だけの答えであって、他の誰の答えでもないでしょう。」 > 大ざっぱにいって、科学とは私たちが知っているところのものであり、哲学とは私たちが知らないところのものである、といってよいでしょう。それは簡単な定義であり、また、そういう理由によって、知識が進むにつれて、いろいろな問題がつぎつぎと哲学から科学へ移されてゆきます。 出典:湯川著『[[本の中の世界]]』(岩波書店、1963年年7月刊。岩波新書 n.493)pp.125-133. > 哲学には、実際、2つの効用があると私は思います。1つはまだ科学知識にまでなり得ない事柄についての、生き生きとした思弁をつづけることです。結局のところ、科学知識は人類が興味をもち、また、持つべき事柄のごく小さな部分しかカバーしていません。とにかく現在のところ、科学はそれについて、ほとんど知っていないが、しかし、ひじょうに興味のあることが、ひじょうにたくさんあります。そして、私は、人々の想像力が、現在知り得ることだけに限定されるのを望みません。世界についての想像的見解を、仮説的領域にまで拡大させるのが、哲学の効用の一つだと私は思います。しかし、これと同じくらい重要な、もう一つの効用があると思います。それは、私たちが知っていると思っていて、実は知らない事柄があるということを示すという効用です。一方では、哲学とは将来、私たちが知ることになるかもしれない事柄について、私たちに考えつづけさせることであり、他方では、知識らしく見えるもののどんなに多くが、本当は知識ではないということを私たちに気づかせることです。」